ついきゅう
苦しめたい。
苦しんでいる姿を、見たいだけ。
いろんな所で、追及は行われる。その目的は何だろう。
真実をあきらかにする為だろうか。純粋に、それが目的だろうか。
苦しんでいる姿を見て、それを楽しんではいないだろうか。
やり込めた感にひたりながら、それを喜びとしていないだろうか。
本当に悪いコトをしたのならば、それは反省しなければいけない。
ただ、それほどでもないのに、追求ゲームだけを楽しんでいる、ふしもある。
その結果、最終的に良くなるならイイのだが、あまり先のコトを考えていない行動に見える。
その人間をやり込めるコトに成功しても、次にまた同じような問題が起きてくる。
結局何も変わっていない。やり込める追求ゲームだけを楽しみすぎて、何も変わらずじまい。
追求を受ける側も、誤魔化してばかり。それで結局、うやむやになり、またくり返される。
根本が、それを誘発する仕組みになってしまっている。その甘さを許す、システムになっている。
追求するのも構わないが、同時にシステムも作る必要がある。
くり返さない為の、厳しいシステム。そうでないと、ウンザリするだけ。
何度も同じコトがくり返されて、それを見せられる側は、ウンザリするだけ。
追求ゲームは楽しい。ただ、そこで終わらせてはいけない。その問題行動を許さない、システム作りをとても求めたい。