ろむ
理解って・・・・。
理解って何だろう。
コンピューターは高度になり、非常に沢山の処理を高速でしてくれる。
それはまるでヒトと同じ。いや、ヒト以上の仕事。
では、コンピューターは理解していると言えるのだろうか。コンピューターは処理はしている。
でも実際には、プログラム通り動いているだけで、理解はしていない。
もしも、情報の詰まったROMを、自分の頭に埋め込めたとする。そうしていつでも、情報を取り出すコトが出来たとする。
としても、理解出来ないモノであれば、使うコトは出来ない。
たとえば、他の国の、まるで知らない言葉を情報として取り出せても、自分にそれを理解するチカラがないので、まるで使えない。
この時の、理解とは何なのだろう。
たとえばコンピューターならば、プログラムされた通りに、的確に返してくれる。
その国のヒトとのやり取りも、コンピューターなら出来るかもしれない。言葉を理解するチカラが無い自分は、まるでやり取りが出来ない。
コンピューターは、理解するチカラがないとしても、やり取りは出来る。
的確に返すコトが出来れば、やり取りは出来る。この、的確というのがキーのような気がする。
まず、物事には無限に可能性がある。それを脳が、分析して可能性を削っていく。
削るほどに、的確に近づいていく。無限の可能性を削って、唯一の意味を見いだした時、理解したと言える。
では、コンピューターはどうか。コンピューターのプログラムを書いているのは、人間。
そのヒトが理解し、その結果をプログラムに起こしている。結果をプログラムとしているので、それは正確にもなり得る。
ただ、コンピューター自体は、無限の可能性を削って、唯一の意味を見いだすという仕事はしていない。
それで、コンピューターには理解は出来ないと、わかる。理解とは、分析して可能性を削っていった結果だと言える。
自分の頭に、情報の詰まったROMを、埋め込む場合はどうだろう。
この場合も、あらゆる可能性から、唯一の意味を見いだすという、作業をしていない。
それで、知らない他の国の言葉などは、使うコトが出来ない。もともと理解していないモノは、情報だけあっても使えない。
理解は、分析して無限の可能性から、唯一の答えを見つけ出すという仕事。
気づかない間に、ヒトは日々その行為をくり返している。相当高度な仕事。日々そんなコトをしている。
的確な結果を見いだせたモノは、それを経験として蓄積する。それが次の理解の手がかりにもなる。
ヒトは理解する生き物。それは、分析して答えを見つけ出す能力を、持つ者のコト。改めて、ヒトってすごいと感心させられる。