えいえん
執着してしまう。
執着しすぎてしまう。
どうしても、カタチや命に囚われすぎてしまう。
とくに命を奪った人間に対しては、あとあとまでそれを引きずっていく。
それは仕方のないコトだが、死んでいったヒトが、本当にそれを求めているかどうかは、考慮しなければイケない。
ヒトは必ず死ぬ。ただそのヒトの考えは、伝え続ければ永遠に残すコトが可能。
命は、時間の流れの中では、一時的なモノ。すぐに消えてしまう、はかないモノ。
先に逝ったモノ達が、どんな考えを持っていたのか。その考えに沿って、残ったモノ達は行動するべき。
感情にまかせて弔い合戦をしても、その行為を、先に逝ったモノ達が、喜ぶとは限らない。
先に逝ったモノ達が望むのと、真逆の行動をしては、余計に悲しませるだけ。
本当に、争いを望んでいたのか。それとも、平穏を望んでいたのか。
もちろん死んでいったモノ達に、訊くコトは不可能。
それでも、ヒントは残っているハズ。ある程度生きたヒトなら、言葉の端々、行動の一つ一つに、ヒントとなるモノが、残されているハズ。
それに沿って、行動していく必要がある。
ヒトの歴史の中で、沢山のヒトが殺されて死んでいる。弔い合戦も、当然のように行われている。
そのループの中にいるべきか、そこから抜けるべきか、それを見極めたい。
命が無くなった事実より、そのヒトが生きた真実を、少しでも伝えて行くべきだと思う。
伝わり続けるコトで、永遠を得る。命やカタチは失うが、伝え続ければ、永遠になっていく。生きていた真実を、永遠にしていく。