ぶつりょう
多すぎると。
多すぎると、どうなるだろう。
物量が必要以上に、沢山ある。そうなると、モノに対して、扱いがとても粗末になってくる。
物量が増えるほどに、その扱いは粗末になっていく。
もしも物量が圧倒的に、少なかったならば、最後の最後まで舐め尽くす。
もっと何度でも使おうとする。
モノが無いので、工夫され、その使い道は何回も変化していく。
そこまで、と思うモノまで、何度もくり返し使い込んでいく。
現在は、物量がとても多い中で暮らしている。意識はしていないかもしれない。ただ、とても贅沢な生活。
物量があまりにも多くて、モノはすぐにゴミへと化ける。
物量が多すぎる世界で、ゴミから逃れる方法はない。
物量が多い世界を知ってしまったら、物量が少ない時代に戻るというのも、難しい。
ただ、頭の中だけであれば、話は違ってくる。
頭の中で、物量が少ない世界をイメージする。
物量の圧倒的に少ない世界。そこでは、ナニが映し出されるだろう。
一つ一つのモノが、価値を取り戻し、所有するだけでありがたいと思える。
更には、今までは一つしか使い道のなかったモノが、とても沢山の利用価値を持つようにもなる。
モノはモノとして、何度でも生まれ変わる。一度使ったら終わりという、使い捨てとは違う世界が展開する。
まるでモノの意味が変わってしまう。
モノは味方で、役に立ってくれる存在と気づく。
物量が多い現在は、とても贅沢で不幸。モノはカンタンに死ぬ。
カンタンに邪魔になる。安っぽくなり、粗末にされる。
確かに豊かではある。ただ、豊かさとは安っぽくなるコトだろうか。
当たり前のように、安っぽくなっていく。それは、物量に流されてしまっているから。
もう一度、一つ一つのモノと向き合ってみる。一つ一つとてもありがたいモノ。
豊かさは、ありがたいモノが沢山、への転換。それは、モノに対しての向き合い方を変える所から。結局心の持ちよう一つ、そう思う。