えすかれーしょん

おやぶん

おやぶん

分けてやる。

持ち分を分けてやる。

親分が、自分の持ち分を子分達に分けてやる。その親分システム。

強い者にすがっていれば、おこぼれをもらえる。子分としては、すがりついてイイなりになるコトで、おこぼれをもらう。

親分システム。それはヒトが本質的に、求めているのかもしれない。その方法も、アリなのかもしれないと思えてきている。

ヒトが求めるモノなら、それは自然に受け入れられる。とってもすんなり行くやり方。

とはいえ、親分システムは、固定化しやすい。しがらみとなり、立場は固定化して、いつの間にやら次の代まで引き継がれてしまう。

弱い者に、分け与えるだけならイイのかもしれないが、代々立場が固定化しては、本質とはズレていき、いずれ崩壊する。

強い者がぶんどって、弱いモノに分けていく。その親分システムは、分け与えるという所は、素晴らしい。

ただその代わりの、いいなりになる状態は、あまり好ましいとは言えない。

絶対的な大きなモノに、すがりつくのは宗教。すがりついて安心する。おこぼれをもらう。これはヒトが持つ本質的な、生き残りのテクニックかもしれない。

親分でなくても、宗教や、国家、マフィアなどが、このやり方を利用している。

いいなりにするので、本来はあまり好ましくはない。が、自然と求めるモノであるとすれば、完全に否定も出来ない。

ぶんどって、自分の懐にだけ入れる小者よりも、分け与えるだけ良いという考えに異論はない。

ただ、もっと良いやり方は、ないものだろうか。

ぶんどるというのは、現実的ではないので、利益を得るという表現に改めさせていただく。

利益を得たモノを、分けていく。それは、利益を得たモノが、他の者に分けると言ってもいい。

つまりいつでも同じヒトが、分ける側やもらう側にいる訳ではないというコト。固定化は、避けたいポイント。

問題は、よっぽど特典がなければ、みんなもらう側にまわろうとする。わざわざ自分のモノを、分ける方には回りたくはない。

みんなもらう側に回っては、全てが崩壊する。元も子もなくなってしまう。そこをどうするか。

親分なんてのは、ただの名誉職。親自体、名誉職で、何の得がある訳でもない。得がないのに、よくやれる。

いや、神になれる。実際には支配者だが、支配者というのも神の権限が弱まったモノと言っていい。

親分や親は、とても小さくはあるが、神になれる。神のポジションを、得るコトが出来る。

神になったモノは、自由にルールを決められる。これは結構な特典と言っていい。利益を分ける代わりに神になって、自由にルールを決めるコトが出来る。

利益をもらうモノは、そのルールに従う。従いたくなければ、他の神を探すか、自分が利益を得て神になればいい。

沢山の利益をもたらすヒトは、神とすればいい。ヒトは、過去の歴史においても、ずっと神を求めている。

ならば、沢山お金をえたヒトを神として、称号を与えればいい。そしてルールを作れる権限も、許せばいい。

従うのがイヤなら、自分が神を目指す。他の従ってもイイと思う、神を探す。

もちろん半分は冗談で良い。ただ、半分は本気。神という称号も、許す限り使いたい。

生きていくテクニック。神に従い、神を探し、神になっていく。それはヒトに合っているように思う。利益を分けてくれるヒトは、神さま。それは悪くない考えのような気がする。

-えすかれーしょん