にんげん
そうは、見ない。
商品のようには見ない。
ヒトはヒトを、商品のようには見ない。
商品のように見たとしても、うまくはいかない。ヒトはヒトを、何で判断するのだろう。
これだけの肩書き社会、商品のように、ヒトを見ているようにも思える。
実はその一面もある。商品のように見ている一面もある。ただ、それだけではない。それは何か。
ヒトがヒトを判断する上で、何を見ているのか。
ヒトはそれぞれ、特有の雰囲気を持つ。おそらくそれを見ている。
その雰囲気は、表面的に感じるコトも出来るが、その奥はかなり深くなっている。
当然全てを見るコトは出来ないが、ごく一部を切り取った、いわゆる印象でほぼ決めていく。
ただ、それはそのヒトの本来もつ、地の部分の印象。
さらに大切なのは、覚悟や必要性となる。覚悟や必要性もなく、ヒトは一生懸命にはなれない。
どれだけの覚悟、決意があるか、必要性があるか、それがある人間はカンタンには、へこたれない。
ヒトを見る時、そこを見ている。それは重要な項目と言っていい。
ヒトはヒトを、とてもナメて見てもいる。なので、それを裏切る必要もある。
試されている。ただ、見ているのではなく、試されている。ナメられてもいる。
ナメられているのは、逆に言うと薄っぺらく見ているというコト。
見ているヒトの想像を超えるコトをして、裏切りたい。想像の範囲内では、何も感じさせられない。
試されているなら、想像を遙かに超えたい。想像を超えた分だけ、面白いと思われ、存在感が増していく。
ウソはイケない。ウソは見抜かれる。想像を超えても、ウソなら逆効果になる。全て正直に。そして真っ向勝負で。
退いてはイケない。不利なコトと思うほど、前へ。その姿は、困難をも前向きに処理できる、強さと理解される。
困難で不利であれば、相手もそれは気づく。それをいかに、前向きに堂々と振る舞うか。それが出来れば、想像を裏切れる。
ヒトは人に惚れる。それは能力だけではない。それよりも、マネ出来ないと思えるほどの、強さ。それに惹かれる。
強さはチカラではない。困難を明るく受け入れられるのが強さ。
困難があると、退いてしまう。引け目を感じてしまう。それでは、普通。想像の領域を超えない。
相手の想像を超えてやる。強さは、受け止めて受け入れる、打たれ強さ。辛ければ、一歩前へ。無理なら半歩だけでも前へ。それだけで、相手の想像を超え、存在感を強めてくれる。