ぼうくん
歯向かいすぎる。
世の中に、歯向かいすぎる。
改革を成すモノというのは、暴君なのかもしれない。従来に歯向かって、変えようとするのだから。
ただ、それにより沢山のヒトが、恩恵を受ける。大きいにしろ小さいにしろ、革命を起こすモノがいなければ、世の中は良くならない。
かといって、従来を否定する、その姿はまさに暴君。
ヒトがその存在で、より高度な社会を組み上げたのも事実。とするとヒト自体が、暴君なのかもしれない。
そう、暴挙であり暴君。まるで悪。変えようとする人間の本質は、悪と言ってもいい。少なくとも、従来の人の目から見れば、そう見える。
それを成す人間は、たいがい孤独。自分にしか、その未来が見えていない。他の人に話しても、理解などしてくれない。それで孤独。
それでも見えているモノを証明する為に、無謀にも立ち向かっていく、孤独な暴君。
今まで、この社会を築いた、沢山の愚かな悪の暴君が、どれだけいただろうか。
私も、気持ちだけはその暴君の一人だと思っている。ただの孤独な悪だと、思っている。
昨日のブログは、自分で追求していて、ビックリした。実はそのダメージが大きく、今でも引きずっている。それだけ昨日の内容は、凄まじかった。
暴君と自分で言っても、昨日のブログのように、あまりに大きなモノにぶつかると、ダメージも喰らってしまう。全て自分でやっているのに、ダメージを喰ってる。
まさか、経済活動を活発にする為のシステム自体が、借金を生み出すモノとは思わなかった。
それがわかった時、自分でもどうしようもなく、驚いてしまった。
流通量が減って、不況になる。そのマイナスは誰が補う?それは国が国債を買って補う。国債は金融機関が買う。金融機関は日銀からお金を借りる。
結局、日銀からのお金が、国債に代わり、国がバラ巻くコトで、流通量を上げていた。借金で埋めなければイケないシステム。
これは驚きだった。どうやったって、借金が増えるシステムだった。借金が増えるから、お金自体は価値を持つ。結論はとても皮肉だった。
わたし自身戸惑っている。もしかすると、知りすぎてしまったのかもしれない。とはいえ、わたし自身考えるのを辞める気はないのだけれども。
今の経済システムは、価値を守る為に、とんでもない借金を生み出してしまうというモノ。これ自体、他にやり方はないのだろうか。
おっと、あれだけダメージを受けていながら、まだ自分の中の暴君が動き出そうとしている。
おそらくまだ先になるけれども、借金をつくらなくても、お金の価値を生むシステムを、わたし自身で出したいと思う。
もしそれが出れば、またこちらに書き込ませていただく。ま、出来るかもわからないのだけれども。
それでも、自分の中の暴君がうずく限り、きっと探り続ける。それが悪であっても、愚かであっても、うずいてしまうから、仕方がない。