ぬぐう
責任をとれていない。
責任をとれずに、尻ぬぐいをされている。
この投資型経済では、うまくいかなくなると、金融機関は尻ぬぐいをしてもらっている。
結局自分の尻を、自分で拭けていない。
金融機関が潰れれば、取り付け騒ぎが起こり、大損害を引き起こしてしまう。
そうならない為に、金融機関の尻ぬぐいをしてあげなければならない。なぜそうなのか。
それはそれだけ、金融機関に依存した経済だから。経済の大黒柱を、金融機関が担っているからと言える。
儲けが出る時は、自分たちがその利益を得て、損失が出ると、国が補填してあげる。これでは、帳尻は合わない。
少しばかり、金融機関に経済を依存しすぎている気がする。そして、投資型の経済も、不安定要素でしかない。
従来は、そのカタチでしかない。それを示すように、ヒドイ不況や、恐慌はたびたび訪れている。
選ぶモノが他に無ければ、それを呑むしかない。では本当に、他のやり方はないのだろうか。
少なくとも、金融機関に依存しすぎている気がする。金融機関が潰れても、経済がへこたれないようにする必要がある。
さて、その為にはどうすればいいだろう。極端な話、金融機関というモノが無かったらと考えてみる。
お金は、それを発行している所から、直接世の中に流れて行く。そして、余り金を預ける所はない。さらに、釣り銭なども、直接製造している所から、調達するコトになる。
とはいえ、それだけとも言える。あんがい、金融機関が無くなっても、いけるかもしれない。
発行する所は、金利で操作する従来のやり方プラス、借りる為の条件を出す。
その条件に見合えば、誰でも借りるコトが出来る。市場にお金が出回りすぎれば、条件や金利を厳しくしていけばいい。
実際に金融機関を無くすコトは出来ないが、全て潰れたとするコトで、今まで見えなかった条件という要素が、出てきてくれた。
金利だけでなく、条件。これを締めたり弛めたりするコトで、世の中に出回っているお金を、コントロールできる。
では、投資型経済に偏りすぎているのは、どうしよう。投資型では、イイ時と悪い時を作りすぎる。
これは、中央銀行から直接借りるコトが出来る金融機関が、投資にお金を回すので起こってくる現象。
どうせ、金融機関は尻ぬぐいをしてもらわないとイケないような、責任のとれない企業。
ならば、投資などにお金を回す金融機関は、金融機関として認めないとするべき。少なくとも尻ぬぐいなどしないし、中央銀行からも、一円も貸さないとしていくべき。
それならば、投資する機関は民間のお客さんから集め、損失が出ても、自分やお客さんがそれをかぶるようにする。もちろん、ダメであればすぐに潰れればいい。
金融機関は、一般にお金を貸し出す所だけにしていく。
そしてその金利と、貸し出し条件は、流通量を見ながら、中央銀行の総裁が制御していけばいい。
流通量が多ければ、金利を高く、条件を厳しくしていく。流通量が少なければ、金利を低く、条件を弛めていく。
金融機関に勝手をやらせすぎていた。金融機関を軸にし過ぎていた。
これでは、何度も不況や恐慌が起こってくるハズ。もちろんそのままなら、これからもそれは何度も起こってくる。
不況になって苦しむのは、弱者。借金を抱えた自殺者が増えるなど、もってのほか。借金なんかで、死ぬコトはない。
実体経済だけで良い。インチキな投資型の経済に、踊らされすぎた。軸は、実体経済に。その為に、金利と条件の制御をする金融を、つくりあげる必要がある。