まとも
まともに受けられはしない。
まともに受けると、とても重たい。
ヒトから発せられる、圧のようなモノがある。
まともに受ければ、その圧に、けおされてしまう。
そのヒトによって、圧の強さはマチマチ。ただ、表面的でない隠された圧もある。
隠されたモノも含めると、誰の圧もかなり重い。
この圧のようなモノは、そのヒト自体が内奥に持つ、生きてきた歴史のように感じる。
決して外には出てこないが、誰しもが歴史を持ち、そして未来も持っている。
その見えない、歴史と未来の部分が、圧となって感じさせる。
未来の部分は、これから進んでいくタメに必要な、エネルギーのような気がする。
歴史の部分は、苦しみや痛みが濃縮されているモノ。そのおぞましさを含んでいるモノ。とても重たく感じて当然。
ヒトから滲み出ているモノを、圧と感じたのかもしれない。
ヒトから、未来と歴史の部分が、滲み出ている。もしくはギッシリ詰まっている。
なので、見ないようにして、普段は生活しているのかもしれない。
あまりに重いモノで、それを見てしまうとウンザリして、辛くなるだけ。
見ないように、見えないように、演じているのかもしれない。
社会のシステムも、ヒトを単純化して演じさせているとも思う。
見えない部分に、あまりにも沢山いろんな過去を内包している。そして未来に対しての、用意や蓄積もしている。
本当はとても重い。それを感じ取って、出来るだけ軽く、人間カンケイは構築されているのかもしれない。
ヒトそれぞれ。そして誰しも。歴史という過去と、未来の為の荷物を、背負っている。それはとても重いが、その重さこそ、ヒトの尊さなのかもしれない。