かみきれ
軽くないと、持ち運びづらい。
腐ると、価値を失う。
お金は、持ち運びやすいように軽く、腐らないモノでなくてはイケない。
マネされて、同じ物が出回っても、価値を失ってしまう。
お金はマネされてはイケない。マネをされない技術を持つ必要がある。
もし技術がなければ、モノ自体を特別にする必要がある。
石のお金のような、とても重たくて、マネをするにも労力が要るモノ。実際技術がない昔は、石がお金の時代もあった。
持ち運ぶことを度外視して、マネされないコトを、優先したんだと思う。
お金はその国の政府が、価値あるモノとして、流通させるモノ。
ただ、流すほどに価値は薄らいでいき、流しすぎればほぼ無価値に変わる。
どこかで流通量を、コントロールしなければイケない。そこで発行元が、貸すというカタチを取った。
いずれ利子を付けて、戻ってくる仕掛け。それにより、コントロールをしようとするモノ。
さらに、政府が勝手に流出させるのではなく、その主導権を市場にゆだねている。その点でこのやり方は、優れているといえる。
流しっぱなしにもならず戻ってくるので、価値は保証されるし、政府の手から、分離させるコトに成功もしている。
ただ、実際は市場にゆだねるのではなく、金融機関にゆだねられてしまっている。
金融機関がまともなうちは、これで良いかもしれないが、一度多額の負債を負えば、現在のようにおかしくなってしまう。
どうやら、この金融機関にゆだねているのも、卒業しないとイケない時期に来ていると思う。
どうやって、金融機関の手から、流通の主導権を抜いていくか。
金利をつけて貸し出すことによって、政府が勝手を防いだように、銀行に預ける時も、銀行に貸すという形態を取ってみる。
ただ預けるのではなく、銀行に貸す形を取る。銀行側にも、拒む権利を持たせる。
さらに、振り込みや引き落としを分ける。
そして、運用によって分け、その分けられたモノにそれぞれ貸し付けるカタチにしたい。
現在は、金融機関がいろんな運用を好き勝手にやっている。なのにその窓口はひとつ。
運用によって、リスクが違う。窓口を分けるべき。それで、ひとつの金融機関に見えても、何をしているか明確になる。
銀行に貸しているお金が、戻らなくなっても、それは貸している方の責任。
金融機関など、そう信用するべきではない。信用できるモノではない。
窓口を分ける。金融機関を分ける。ゴッチャにしてはイケない。ゴッチャにし過ぎていた。それで、すぐ機能しなくなる。
預けるなんて言い方は甘い。あくまで貸し付け。金融機関を甘やかしすぎていた。もっと厳しく。それが、あるべき新しいカタチ。