せいじゃく
空間から、感じるモノ。
和の空間からは、静寂を感じる。
あの静寂は何だろう。あの一種張り詰めた空気は、どこから滲み出るのだろう。
それは林の中のような、静けさ。静けさであっても、さらにナニかが加味された静寂。
林の中というのは、風が通る。風を止めてしまう、森とは違う。
和の空間も風が通る。その風の通り道の中に、静寂はあるのかもしれない。
風は通る構造でも、それがやむ時もある。風がやんだ時の、その不安感。静寂には、その不安感も内包する。
その不安を感じさせるのは、無。和の空間には、どこかに無が潜んでいる。
ただし、無は小さなモノではない。逆にとても広がりを持ち、さらにいろんなモノを許容する、自由な佇まい。
無とは、実はとても自由なモノ。和の空間には、静寂があり、無という自由が隠れている。
いや、空間自体が、呼吸をしている。和の空間では、柱や床も生命として生きている。小さな生命に囲まれていると言ってもイイ。
その小さな呼吸を、聴いているのかもしれない。静寂といいながら、小さな呼吸のざわめきを、感じ取っているのかもしれない。
そのざわめきが、落ち着くという安心感を生んでいる。
静寂の中に、不安と安心感の両方が、同居している。
その小さすぎる声を無視すれば、途端に孤独になり、不安になる。逆にその声のリズムに、自分の呼吸を合わせれば、とても落ち着いていく。
和の空間に入ると、和の呼吸に変わっていく。気分から変えてくれる。
それは、とても小さな呼吸、生命に囲まれているから。無という自由な世界の中で、カラダも心も解放されるから。
まるで林の中にいるように。静寂という名の、小さな呼吸。それを感じるコトで、ヒトはひとつの命として、調整されるように思う。