ごっこ
貧乏な、ゴッコをしてみる。
貧乏ゴッコをすると、見えなかったモノが見えてくる。
自分はとても貧乏と、思う方も多いハズ。それでも、これだけモノの多い時代。本当にひもじい生活のヒトは、多くはない。
いろんな楽しいコトは、不足をどう乗り切るかから、始まる。
貧乏ゴッコは、それを体験する為の、状況づくり。
たとえば、とても貧しくておなかが空いていたとする。でもジャムパンがひとつしか買えなかった。この時、どうするか。
それによって、楽しいコトが始まるか、始まらないかが決まる。
ひとつのジャムパンを、二人で分けるとする。半分に割って食べるのだが、明らかに割った片方が大きい。
この時、必ず大きい方を相手に渡す。自分がどんなにおなかが空いてても、相手に大きい方を渡す。
渡された相手も、遠慮して小さな方で良いと主張する。このやり取りを何回か続ける。コレがとても楽しい。
一昔前なら、よくあった光景かもしれない。でも今はあまり見られない。
コレが何とも楽しい。しかも相手の想いや、愛も感じられる。確かに、おなかに入るモノは少なくなる。ただ、それ以上の満足感が得られる。
現代はモノが溢れている状況だから、容易に満腹になれる。
なので、何も始まらない。何も楽しくない。与え合いもないし、譲り合いもないし、遠慮もない。それで愛も感じない。
それは仕方がない。とても豊かな時代になった。とても幸福なコト。
それでも想いは感じたいモノ。
そこで、貧乏ゴッコ。モノが無く、ひもじいという設定を作ってみる。
その中で、食べ物を割って分ける。大きな方を相手に渡す。そこからいろんなモノが始まっていく。
現在では失われている、ちょっと恥ずかしいけれど楽しい、そして嬉しいやり取り。それが始まっていく。
それはゴッコかもしれない。それでも、相手の想いや、愛は感じるコトが出来る。
現在では失いかけているモノ。それをまた味わいたい。豊かすぎると、何も始まらない。なので、貧乏ゴッコで、想いのやり取りを体感する。