くつう
苦痛がなければと、誰もが思う。
ただ、楽しいコトをしていても、ソレばかりでは苦痛を感じてくる。
最初は楽しくても、その行為自体の義務感、動くコトによる疲労感を、苦痛に思うようになる。
というよりも、苦痛に感じたい。苦痛を感じている自分を、気遣ってもらいたい。
何の苦労もしてないと、他人からうらやましがられるのは、実はとても居心地が悪い。
どちらかというと、他人からは心配してほしい。
ほったらかされるのは、据わりが悪いし、罪悪感を感じる。
ソレが苦痛に変わる。楽しいコトをしていても、ずっとなら苦痛を感じるようになる。
結局ナニをしていても、苦痛を感じる。そういう風に出来ている。
実際に苦しくても、楽しくても、苦痛という要素は、必ずつきまとう。
おそらく苦痛という要素は、ヒトにとって必要不可欠なものなのだと、思う。
もしもまるで苦痛のない世の中が出来たら、おそらくヒトはヒトではなくなる。
最初はなにかモノ足りない、そこからはじまり、徐々に空虚さに包まれてくる。
そのうちその空虚さに耐えられなくなり、苦痛を探すようになる。
苦痛があると、ヒトはそこから逃げようとする。ただ、苦痛がまるで無くなると、ヒトは苦痛を探し出す。
そして苦痛に出会う時、とても安心する。自分も生きているモノの、一員だと実感できる。
生きているモノは全て、苦痛の中で、努力、進化して、成長していく。
成長、進化が止まれば、生きているモノに、置いてきぼりをくう感覚に襲われる。
生きているモノは、成長しなくてはならない。進化しなくてはならない。
より高みに向かって、より強い存在になれるように、進み続けなければイケない。
そのために、苦痛は必要不可欠な要素。どんな苦痛でも、ソレを乗り越えていく、それが生きていくモノのテーマ。
それでヒトは、苦痛を求める。
苦痛がないと、生きていく一員になれない。生きていく事イコール、成長と進化。