どうにもならない
世の中どうにもならないことがある。
どれかの道に、必ず正解があるとは限らない。
どの道に進もうと、どの道も不正解というコトはありうる。
正解があるとは限らない。
正解がありすぎる。正解があって、当然な世界になってしまっている。
ヒトより大きいモノが、たくさん存在していた時は、その流れの中で、もっとわずかな正解でも、満足出来ていた。
それがいつの頃からか、人が知を身につけるコトで、大きな存在もさほどの驚異ではなくなった。
ヒトより大きな流れも、あるていど予測出来るようになり、わずかな正解では満足出来ないようになってしまった。
もっと絶対的な答えを、もっと的確な正解を、そうでなければ許せなくなってしまった。
ただ、まだ大いなる流れの中にヒトがいるのは、間違いない事実。
しかもヒト自体も、とても厄介な存在。ヒトがつくり出す世界こそ、どの道も不正解というコトはよくあるコト。
もう少し、小さな存在にならないとイケない。
正解など無くても仕方がないと、思うように転換しないとイケない。
不正解でも、それなりでイイ。その第3の道の可能性を、用意したい。
正解、不正解とはちがう、第3の道。不正解をし続けても、生き続ける道。
それで少し生きやすくなる。不正解でも、前に進める道。前に進む目的で、不正解でもずうずうしく生き続ける道。
囚われすぎない。不正解でも進んでいける。どうしようもならないのは当然。それでも進んでいける。