ふんぞり
偉いヒトほど、ふんぞり返る。
偉くなくても、ふんぞり返ってしまう。
それはヒトが本来持つモノなので、仕方ないコト。ただ、それだけに改めたい要素。
変えていきたい、自分。
出来ればもっと献身的に。
変えていきたい自分の行き着く先は、献身的。
スタートはふんぞり、ゴールは献身。
とても出来ないが、献身的を意識したい。
今自分がふんぞりか、献身か、確認したい。
少し先に、選挙がある。
立候補しているヒト達は、ふんぞりだろうか、献身だろうか。
それは見極めたい。ただ、残念なことは、ほとんどの人間がスタートに近いふんぞりである現実。
立候補する人間のほとんどは、献身ではなくふんぞり。
もちろん偽っているので、普通ならわからない。なので、ふんぞりか献身かで分けてみる。
表情の一つ一つ、言葉の端々から、注意深く探してみる。ふんぞりと献身を。
結局、みんな献身とは言えないふんぞりとわかる。仕方がない、ヒトはそういうモノ。
それだけに意識をしたい。意識をして変えられるように。
自分もふんぞり。献身的になれても、油断すればすぐにふんぞりに墜ちていく。
べつに議員でなくても言えるコト。どんな仕事でも。大人でも子供でも。
ふんぞりの方向か、献身の方向か。自分の行動を、その二つの方向に当てはめてみる。
オモテには見せなくても、実はふんぞり。気をつけたい、出来れば献身的に進めるように。
ふんぞりは自分のため。献身は他人という名の、自分のため。他人の中に自分を感じながら、より献身的に。