むかち
まるでプログラム通りに動く、あやつり人形。
あらゆる欲望は、自分の行動のようで、実態は遺伝子のプログラム通り。
プログラム通りの、衝動で動いている。
あやつり人形なので、そのヒトの個としては、まるで動いていない。
個としての動きはゼロで、一歩も前に進んでいない。まるで無価値。
あやつり人形なら、何のために生きているのかわからない。
ヒトはそれでも、欲望を原動力としてしか、生きられない。
ただそれだけでは、むなしい。それに支配されて、あやつられては、自分が自分であるとは、言えない。
価値ある生き方とは言えない。
自分の欲望のあやつり糸を切るコトが、価値あるモノだとするならば、禁欲はより価値ある生き方を求める、姿かもしれない。
欲望に絡め取られるか、欲望を抑え込むか。
とくに社会の地位が高くなるほど、それは突きつけられる。
どうしても油断して、無価値なあやつり人形。何千年前と違わぬ、愚かな行為に走りがち。コレは気をつけたい。
今も大昔も、高い地位のヒトの無価値な行動が、世界にはびこる。ただそれは、誰にでも起こりうる、プログラム通りの行動。
欲望はごく自然に、自分の中から、湧いてくる。操られ続けるか、そこから抜け出すか。すべては自制のチカラ。