はずのなか
あたまの良いハズの人が、居て。
あたまの悪いハズのヒトも、もちろん居る。
役に立つはずのヒトもいて、良いハズのヒトもいる。
とても簡単に、判で押されたように、振り分けられてく。
実際にとても役に立つ場合もあれば、思ったほど役には立たないコトもある。
ヒトと言うより、どうやら場面場面で、役に立ったり立たなかったりは、決まってくる。
世間での"ハズ"は、そう当てにしていいものとは、いえない気がする。
それでも世間では、"ハズ"があふれ、それをカタチ作る”基準”もあふれている。
基準は徐々に、判断の王道を歩き、絶対の存在に変わってきた。
絶対の存在なのだから、間違えるワケがない。信頼性だけが、勝手に増幅されていく。
それだけに、期待はずれや、思い違いにぶつかり、戸惑わせる。
期待されすぎるのも、あまりにもよくあって、その重圧で押しつぶそうとする。
世間は、"ハズ"で出来ている。誰かの作った”基準”が、絶対に変わってる世界。
期待されすぎて、期待を裏切られて、物事のホントウが分かってくるゴトに、当てにならないと痛感させられる。
かといって、世の中はひとつも変わらない。基準は相変わらず、絶対として増幅し続けていく。
この"ハズ"の中で押し流されながら、気づいていく。世間とのズレ。ズレにされてしまっている、その真実。