とまつ
生活をギセイにしてでも欲しいモノ、であるならば記憶になり、懐かしい思い出にもなる。
これほど簡単にモノが手に入るようになると、自分の深いトコロに染みついていかない。
そこまでして欲しいモノなら、ベロベロにナメ回すように、味わい楽しみつくせる。
モノと対峙して、鬼気迫るような想いで迎え入れて、それが最高の喜びになる。
現在のモノに溢れて、手に入れ易すぎる状況でも、生活をどこかギセイにして手に入れられれば、もっと深い喜びを感じられる。
量が増えるたびに、表面だけを楽しみ、不完全なザンガイばかりになってしまっていた。
とても不幸と、現代の状況をそう思う。
みんなモノに救われ、モノに喜びをもらっている。それなのにそれを忘れてしまいがち。
もう一回身近にあるモノを、味わい楽しみ尽くしてみる。2回でも3回でも、何度でも。
飽きてもさらにその先も、続ける。それで、なんてモノはありがたいって教えられる。
モノは、それに気づくのを、ず〜〜っと待ってくれている。気づかなくても、ずっと待ってくれてる。