多分分かる世の中の事

罪悪感の巻

自分の感じる罪悪感。ホントの事を言えば、向き合いたくない。さて、罪悪感を感じるとして、それは罪なのだろうか

自分に感じる罪悪感。特に自分のダメな所に感じるらしい

これって本当に罪なのか。もしかしたら、罪でもない事に罪悪感を感じているのかも?そんな気がして、このブログを書き出した。果たして真相はどうなのか。現段階ではまだ分からない。これから探って行こう

ダメだと感じる時、自分に罪悪感を感じるらしい。ダメというのは何なのかを、まず突きとめないといけない。ダメと感じるのは自分。自分の中の主観だろう。もしくは他のヒトが自分に対し、ダメだと感じるコトもある。それもその人の主観

主観というのはいい加減なモノ

その人がダメだと思っても、他のヒトから見たら普通かもしれない。もっと違う人から見れば、スゴイと思うかもしれない。主観といういい加減なモノがダメだと感じさせている。とすると、罪悪感を感じさせるダメという状態は何なのだろうか。少なくとも、罪ではないだろう。誰かの主観による感想のようなモノで、その人の意見でしかない。とすると、ダメというのは罪ではないだろう。罪悪感を感じる必要もないと言える

ダメだとなぜ思うかと言えば、優れているモノを見えているからだろう。それより劣るからダメという感想になる。他人がそう言うならば、その人にがんばってもらえばいい。人をダメだという前に、その人がダメな人の分までやってあげればすむ事だろう。それをやらないでダメだと指摘するだけだったら、その人もダメだろう

社会の状況によっても、ダメな人は増えたり減ったりする。社会情勢が悪ければ、ダメな人も増えてしまう。なので、ダメといういい加減なモノに罪悪感を感じるコトはない。ただ、自分をダメだと思ったり人をダメだと思う気持ちに、罪悪感を感じた方がイイかもしれない。それは、何もしないで気休めだけの行動だから

ダメだと思ったら、ダメじゃない行動をとる。それだけのコト。責めているだけじゃ何も生まれない。それこそ罪悪感を感じるべきダメな行為と言える

2010年3月の私のブログの中で一番良いモノを、わたし自身で選びます。3月の月間大賞は、あえてでした。お読み戴きありがとうございます

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