ヒーローの巻
学校での上位3割は、得られるモノが大きい。なのでほったらかせばいい
今日は少し急ぎ足で進める。学校の話。教師が見るべきは残り7割。取りこぼさないというコトであれば、一番遅い子をフォローすべきだろう。出来無い状態から、出来る状態に
テストで×をついた所。そこは出来無い所だろう。教師は出来無い所を認識し、出来るようにするのが仕事。なので、一番遅い子をフォローすれば取りこぼさなくて済む。ただ、7割の子を全て出来るようにするには、人手が足りないかもしれない
それを理由に取りこぼす。諦める。逃げる。考えないようにする。普通の教師はそうかもしれない。従来通りの教育はそうかもしれない
そこまで来たら次の段階。ほったらかしにしていた上位3割。この子らを使えばいい。分析させる。何が出来ないか。そしてどうすれば出来るようになるのかを考えさせる。押しつけるわけではない。教師と生徒の共同作業
これは得意教科。得意教科は苦手な子を分析して、足りないモノを補い出来るようにさせる。自分の苦手教科は、同様に得意な子が出来るように分析する。最初はぎこちないだろう。それでいい
出来る子がひけらかすのではなく、まだ出来ない子の為にその力を使う。力のある子がその力でいじめるのではなく、力の弱い子にチカラを貸してあげる
力の弱い子にとって、ヒーローに映るかもしれない
能力がある場合、その能力をどう使うか。順位を付けてふんぞり返り、見せびらかして、意地悪をして、いじめて、あざ笑うのか
もしくはその能力で、遅い子の味方になり、面倒を見てあげるのか
教育というのはとても必要なモノで、とても清い存在。にも関わらず従来は能力を遅い子の面倒を見る方には使わない。ヒーローになれるのに、ヒーローにしない。なぜか数字で処理して、モノのように扱う
道徳の必要性が問われている。子供たちをモノののように扱っている現状で、何が道徳だろうか。モノのように数字で処理しておいて、どこに道徳があるのか
能力があるのは素晴らしい。にも関わらず、その能力は遅い子の面倒を見る方向には使われない
社会は、出来る人が出来無い人をサポートする事で成り立っている。経済もそれで成り立っているだろう。快適に過ごせるのは、出来る人が専門的に担っているから。それと同じではないだろうか。出来ない人が居たら、出来る人がサポートする。社会と同様に学校もした方が、社会人への移行もすんなりいくだろう。学校はなぜだか選別し子供たちをモノのように扱う
私は思う、能力は自分の為に使うのではなく、その力を必要とする誰かの為に使うべきだと。力を必要とする人にとって、その人はヒーローだろう。子供たちをヒーローにしたい。ヒーローは、弱い人を助ける存在。いろんなヒーローがいて、ある時は助けるし、ある時は助けられる。もっと子供たちはヒーローになって良い。モノから、ヒーローへ
2010年2月14日〜20日までの私のブログトップ3を、わたし自身で決めています。よろしければお読みください。 1位 てきたい 2位 じかんとかね 3位 ぱっけーじ