多分分かる世の中の事

自在の巻

自動車を見て顔に見える事がある。というより、顔にしか見えない。ただのライトではなく、目に見える。バンパーは口に見える。その顔で、車を選ぶヒトも多いように思う

人にとって顔は重要だろう。自動車でさえ顔に見えてしまうんだから。では、顔を自在に変えられたらどうなるのだろう。今日はあり得ないコトが出来たらどうなるのか?と言うシリーズをまたやってみようと思う。顔を自在に変えられるのが普通になったら?

思い通りの顔になれる、そんな社会だったらどうなるのか。みんな良い顔になりたいというのは、共通した願いだろう。とすると、自分がイイと思う有名人に顔を作り替える。その時の流行りによって、町中に同じ顔が増えるかもしれない。途端にその顔はありきたりになる

とにかく自在に顔を変えられるのだから、顔自体の価値は無くなるだろう。顔は変えられないから価値を持つ。それが変えられるようになったら、顔の価値は無いだろう。昨日までの顔とは違う顔になっているというのも、当然のように行われる。全くの他人になる事も出来る。その時恋人同士はどうなるのか

顔以外の何で、恋人同士は相手を確かめるのか?顔なんてどんどん変わるモノ。下手をすれば別人がなりすましているかもしれない。その時に何で見極めるのだろうか。背格好や声だろうか。とすると、顔以上に大切なモノは、背格好や声となる

風邪を引いて声が変わる。声が変わったら大変。本当に恋人か分からない。まるで別人かもしれない。声が変わっただけでパニックだろう。顔が識別する対象にならないだけで、大混乱するに違いない。顔は識別するのに使われるし、一生付き合っていくモノ。その常識が崩れた世界では、本人の識別は非常に困難だろう

より科学的な識別。個体を識別するには、より科学的にやらざるを得ない。変える事の出来無い指紋や、虹彩などで識別する。恋人同士でこれをやったら、なんとなく関係が冷え込むかもしれない。恋人達によっては、そんな科学的なモノよりも、もっと違う何かを感じ合おうとするかもしれない。本人達だけが分かる方法で、確かめあうようになると思う

恋人達が確認するのは、もっと内面的なぬくもりのようなモノ。もしかしたら顔を重要視しない方が、距離は近づくのかもしれない。お互いの細胞と細胞を信じて、確かめ合うように思う。それの方が、本物だとも思う。顔というのは見える情報でしかない。顔の識別に、ぬくもりはない。恋人同士なら、ぬくもりを大切にするべきだろう

顔を自在に変えられるあり得ない世界。その世界で恋人達は、ぬくもりで確認するようになるだろう。人はもっとぬくもりを感じ合うべきかもしれない。顔がある事で、何か大切なモノを置き去りにしてしまった。そう言えると思う。今日はそれを結論としたい

2010年1月3日〜9日までのわたしのブログトップ3を、わたし自身で選ぶコーナーです。1位  わーるどでした。2位3位は該当ナシです。『わーるど』に誤字はありますが、そのまま載せさせて頂きます

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