多分分かる世の中の事

運命

マネの巻

人の社会は大発明、大発見に支えられている。沢山の発明や発見が、先人達の手でなされた。ただその先人が、それだけの対価を得られたかと言えば・・・・・・

発明や発見をマネる人が居る。上手にマネて、莫大な利益を得るヒトがいる。いるというより、ほとんどがそうかもしれない。発明する人と、マネをして利益を得るヒト。残念ながら、発明する能力と、利益を得る能力は少し違う。利益を得るヒトは、要領よく利益を得る。発明する人は、どちらかと言えば要領が悪い方だろう。要領が良ければ、長時間なんの保障もない発明などに取り組めるはずがない

運命という言葉がある。発明する人はその運命にあったのだと思う。発明したり発見したりする運命。導かれて、発見まで至る。当然苦労を重ねてだろうが、発明した時の喜びはナニモノにも変えがたいだろう

であっても、マネをするのはけしからん事。人の発明や発見をドロボーするようなもの。確かにそれはそうだろう。ドロボーというは厳しいけれど、適切だと思う。ただ、マネをするのも運命かもしれない。マネをする運命にあった。そうは考えられないだろうか

発明や発見だけでは、世の中に広まらない。世の中に広めるには、別の能力がいるだろう。その能力があるモノに、その発明が託された。それだけのコトなのではないだろうか。少なくともそのおかげで、現代人は沢山の恩恵を受けている。マネをするのはけしからんと言っておきながら、身の回りは先人達のマネばかりだろう。マネを一つもしなければ、現代の文明は成り立たない

運命論者ならば、自分の運命だけでなく他のヒトの運命も考えなければいけない。他のヒトにも運命がある。マネをする人も、そう言う運命だったのかもしれない。とするとこの世は運命だらけ

運命に丸投げして無責任になるのは問題がある。だけれども、自分にとって都合の悪いコトも運命だと思えば、諦めがつくのも確か。運命は良いことばかりではないだろう。運命は自分ばかりではないだろう。いろんな人それぞれの運命があり、絡まり合っている。都合の良い運命は捨てなくちゃいけないんじゃないかな

良かったり悪かったり。報われなかったり、途中で打ち切られたり。運命には逆らえない。仕方のない現実。マネをされるのも運命。それまで受け入れられたら、本当の運命論者

2009年11月の私のブログで、最高に良かったモノをわたし自身で選でいます。2009年11月の月間大賞は、ごっこでした。お読み頂きありがとうございます

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