多分分かる世の中の事

自然

畏れの巻

雪が降る。つくしが出る。サクラが咲く。入道雲が雷を響かせる。太陽が草木を育てる。虫が鳴く。木々が紅葉する。息が白くなる。そして雪が降る

今年は御嶽山の噴火があった。沢山の死者が出た。みんな健康的な山登り中。死ぬ要素など一つもない中での突然の死。自然というのはとても恐ろしい。改めて痛感させられる出来事だったのではないだろうか

昔から自然というのは恐ろしいモノだった。その恐ろしい存在に対して、人々は崇めることで救いを求めた。自然は神だった。自然崇拝は、絶対的なチカラを持つ恐ろしい存在に対して、人間が取れる唯一の手段だったのだろう。いつからだろう、自然が恐れる対象でなく保護する対象になったのは

科学は発達した。物事の真理は追究されている。その中で自然はワケの分からない存在ではなく、原理のある現象になった。一つ一つが解明され、さらには原理をもとに様々な強力な道具が開発された。人は、自然を壊す側にまわったのだと思う

いつの間にやら、恐れられる存在になっていた。恐れる存在から、恐れられる存在へ。その時から、自然保護などと言う言葉は生まれたのかもしれない。現象ではなく、作為的に破壊活動を行っていく、ヒトの存在。御嶽山で沢山の人が亡くなった。それ以上に、人の破壊活動でもっと多く人が亡くなっている

今でも丸腰ならなば、自然にはかなわない。人一人が自然にかなうハズがない。ただやり過ごす術を、人は沢山持っている。そのころから、人は自然を恐れなくなったのだろう。今では、自然を恐れていたことも忘れてしまっているように思う

ヒトは強力な道具を作った。自然を恐れる側から、恐れられる側にまわった。自然は恐れるモノではなく、保護するモノになった。不思議だけれども、冷静な目で見れば人は沢山チカラを持ってしまった。いや、冷静な目なので、もっと正確に言わなければイケナイ。チカラがあるのは道具で人ではない、人は大して強くない。なぜなら人自体も自然。自然の中から生まれ、自然として存在する。どんなに力を持とうが、人自体が強いわけではない。ヒトの存在は現象の一つ。力を利用出来るが、強くなってはいない。という真実もある。そこだけはおさえておきたい

2009年11月8日〜14日までの私のブログトップ3を、わたし自身が選ぶコーナーです。読んで頂けると光栄です。 1位 りょうが なんと、今日のこのブログと、5年前のブログがリンクしておりますね。びっくりです。今日のブログのアンサーを、5年間のブログがしていたという、何とも不思議な現象です。続けます→ 2位 なんどでも 3位 きかいでした。お読み頂きありがとうございます

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