多分分かる世の中の事

責任ナシ

振り回されるの巻

雨が降れば傘を差す。もっと降れば、長靴を履く。天気は誰の責任だろう。天気は誰の責任でもない。ただの気象現象

世の中での事は、誰の責任でもないコトが多い。それなのに変に背負いすぎているのだろう。例えば金持ちか貧乏かは、誰の責任でもない。生まれつき金持ちもいるし、貧乏人もいる。浪費で貧乏ならば自分の責任かもしれないが、基本的には誰の責任でもない

体も自分の責任ではない。生まれつき病気があったり、障碍持ちだったりもあるだろう。それは誰の責任か。少なくとも本人の責任ではないだろう。カラダが頑丈で健康なのも、誰の責任でもない。自分が何かして健康になったり病気になったりなら別だけれど、基本的には誰の責任でもない

死ぬというのも誰の責任でもない。生きるというのも誰の責任でもない。雨が降るのと同じように生まれ、死んでいくだけの話。自然現象に近いだろう。なのでその事に責任を感じることはない

雨が降るのは誰の責任でもない。顔の良し悪しも誰の責任でもない。頭の良し悪しも誰の責任でもない。自分の責任なのはなんだろう。自分の行動で変化するモノは、自分の責任だろう。それ以外は全部自分の責任ではないので、背負わなくて良い。考えなくてイイ

自分の責任のモノもある。それは人格だろう。人格は自分の責任。逆に言えば、人格に境遇は関係無い。どんなに不幸な境遇に生まれたとしても、立派な人格にはなり得る。どんなに恵まれていても、人格に問題があるヒトも多い。人格だけは自分の責任

世の中は、何かと責任をかぶせたがる。さらには、優れた部分を振り回そうとしたがる。一歩引いてみてみよう。優れた部分を振り回して喜んでいる人間の人格はどうなのか。そんな人ほど、立場が弱くなった時、全く動けなくなってしまう。ヒトを責め自分を責めるから、動けなくなるのだろう

何かを攻撃しても、何も変わらない。境遇は勝手に起きている自然現象。誰の責任でもないし、振り回すモノでもない。もしもいろんな事を背負っているなら、降ろしてラクになったらいい。背負う必要があるのは人格だけ。人格だけは自分持ち

2009年11月1日〜7日まで私のブログトップ3を、わたし自身が選ぶコーナーです。よろしければご覧ください。 1位 ごねん 2位 あんぽ 3位 うくでした。お読み頂きありがとうございます

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