多分分かる世の中の事

カッターナイフ

線引きの巻

キレイに線を引いて、その通りにカッターを入れる。緊張の一瞬。キレイに切れるかどうかは、最後まで集中出来たかにかかっているでしょ

子供の頃も大人になっても、カッターナイフを使う時は緊張する。キレイに切り分けられるも、変な形に切れるも自分次第。切るって結構責任がかかる行為なんじゃないかな。モノを分けちゃうわけだから。線引きしたら、人も分けられちゃうんだよね

人も切り分けられるって、どうも残酷なように思う。でも実際いろんな所で行われているでしょ。形に見えるモノもあれば、形にはならないけれど自分の心の中でも、人を切り分けちゃっている。誰の心の中でも、人に対しての切り分けってしているのかも。とても残酷なね

誰の心の中でも切り分けてるなら、それって普通なんじゃないかな。そういう風になっているってね。脳が理解する時に、物事を切り分ける。線引きして分けるコトが理解なら、誰の心の中にあってもおかしくないよね。脳が残酷に人も切り分けてる。困るコトがあって、他人を切り分けるのは良いけど、自分が切り分けられるのは嫌ってコト

ある条件の中から外れると、切り分けられちゃう。だから必死にその中にいようとする。脳はあたりまえのように切り分けるから、その残酷な行為も当然だと思っちゃうんだよね。中に居られればいいけど、外れてしまったら道を失う。実は社会自体も切り分けをする、残酷なモノになっちゃってるみたい

切り分けられた人は、自分を守る為に壁を作る。この壁も他者を切り分けるという皮肉な行為。自分を守る為の行為が、更に切り分けを加速させるのかもね。全部脳が理解する為に、切り分けをすることから起きているから、誰の中でも多かれ少なかれあるコト

切り分けられた人って、拒絶されたと感じる。拒絶された人は壁を作りまた拒絶する。この拒絶の連鎖があるんじゃないかな。線を引いてカッターナイフで切るように、人も切り取って良いのかな?本当にそんな切り取り方で良いのかな?内と外を作ってしまうけど、そんな切り取り方が本当に正しいか、疑問に思いません?

実は、その線もいい加減でしょ。人を区切る線なんていい加減なんじゃないかな。大体一本の線で人が切り分けられるのがおかしい。いや、人以外のモノも一本の線で切り取れるわけがない。どうも一本の線で切り分けてしまう。それが理解だとなってるけど、どうなのかな

脳が切り分けて理解しているモノって、ホントは何も理解してないんじゃないかな。カッターナイフで切るように誰かが切り取って、それを理解しているように思っているけど。大切な何かを置き去りにしているんじゃ・・・・・

見えていないけど、他に大切な要素もある。それを無視して、カッターで直線に切っていく。大切なモノを実は切ってしまうみたいなね。切ったモノを繋げれば、もっと良くなるのに切りっぱなしにするとかもあるね

脳が切り分ける前に、もっと見るべき要素はあるのに、単純に切り取って理解としてしまう。これだったらあんまり賢くないんだろうな。全然見てないで、理解していると思っちゃってるんだから、賢いわけがない

切り分けてレッテルを貼ったら、もう切り捨ててしまう。脳がそれをしているんなら、モッタイナイよね。使えるモノを全てゴミにしてしまうようなモノ。サルがちょっと食べて捨ててしまうのに似ている。これもサルレベルの行為かもしれない

結局人はまだ、賢くないサル。見ないで切り分け、レッテルを貼って切り捨ててしまうサルなんじゃないかな。カッターで切る時よりもっと慎重に。そして切り取っても切り捨てないで、活かす道を探せば進化出来るように思う。こんな脳だけれど、脳も使い方次第で進化出来るハズだよね。進化出来たら拒絶は無くなって、人は人を大切になれるように思う。今って全然ダメじゃん!

2009年9月6日〜12日までの私のブログトップ3を、わたし自身が選ぶコーナーです。 1位 えりーと 2位 むきあう 3位 たいきょくでした

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