陰と陽の巻
この世の中は対極する二つのモノで出来てるらしい
陰と陽、上と下、高い低い、右と左、明と暗、善と悪、好きと嫌い、大と小、重いと軽い。こう並べてみると確かに対極するモノで出来ているのかもしれない。そんな気にさせる
チョッとだけ待って欲しい。本当にそれでイイのだろうか。例えば音は高いと低いだけれど、実際には空気の振動。振れ幅や一定時に振れるその回数によって変わってくるモノ。高い低いという単純なモノではない。なのに私たちが感じて理解する時は、なぜか高いと低いになってしまう
この世界は対極のモノで出来ている。そう言えなくもないけれど、実は人間が対極という2元的にしか物事を捉えられない。そう考える事も出来るのではないか。少しばかり、対極なモノが多すぎる。そう感じてしまうのは私だけだろうか。もしかすると私たちの脳が、全てを2元的に捉えてしまう所から、世界が構築されている。で、対極する二つのモノで全て出来上がっていると思い込んでしまう。そう考えられないだろうか
決して対極する2つにならない物も存在する。それは色
色は3原色。光も3原色。脳は2元的で捉えたいだろう。でもそれは許されない。仕方がない、それぞれの特徴で区切り名前を付けて理解、という流れになる。明と暗なら2元化可能。カラーはそれを許さない。なるほどそれで自由の比喩表現で、カラーが使われる事が多いのか。例えばオリンピック。5輪の色も、5色。決して2元にはならないでしょ
オリンピックは平和の祭典として存在している。たぶん知らず知らず気づいているのでは?そう思ってしまう。2元で全てを捉えようとしてしまう、欠陥のある脳の問題点を。カラーを象徴すれば、2元の狭い世界に囚われない。平和で自由でいられると、知らず知らずに気づいているのではと思う
脳が2元で捉えるのは仕方がない。でもカラーだったら脳が作り出す狭い世界から、きっと抜けられる。脳の欠陥を補って、心の壁を作らなくてもいい。人をカラー化させる。カラーだったら脳は、狭い2元の世界に人を入れられない。これはイイ。そうしよう、人はカラーとして捉える。そうなったら身を守る為に、壁を作らなくて良い
社会も壁だらけ。でも、人をカラーとして捉えたなら、その壁も要らなくなるでしょう。その時に、2元の脳の欠陥が完全に補完される。さてさて今日までの3日分を見て、みなさんはどう思うでしょ
2009年8月23日〜29日までの私のブログトップ3を、わたし自身が選ぶコーナーです。 1位 あじ 2位 じしょう 3位 まんぞくでした!!