マイスターの巻
「お前どこ中だよ」「どこの馬の骨とも分からない奴に」相手は自分とは違う存在、それを明確化してさげすむ。とてもイヤな行為だ
人の本質がそこにあるのなら、そこからは逃れられないのかもしれない。その次に来るのは階級だ。ホワイトカラー、ブルーカラー。労働者階級なんて、階級で人がくくられる社会も平気で作る
ドイツのマイスター制度は、階級を超えたお墨付きがある。職人をマイスターとして尊重している。ホワイトカラーとも対等か、それ以上の存在だろう。対等であれば、階級は存在し得ない。階級意識も存在しないだろう
対等であるというコトは、本質にかなっている。物事は一括りには出来ない。いろんな事があり、それぞれにいろんな能力が必要。階級はそれを無視し、一括りにして上下を作ってしまう。人がそれを求めるので仕方がない。人は何もしなければ、階級を作り出す生き物。それを前提としたい
マイスター制度は、対等を生み階級意識を崩壊させる。人がやってしまう事を、マイスターという尊重された存在を制度化して、させないようにしている。それは労働者にとって救い。どんなに極めても、どんなに積み上げても低い階級では救われない。報われない
ドイツには、いろんな素晴らしさを認める制度がある。救われて報われる制度がある。なぜ、日本を含め、アメリカにもこのような制度がないのだろう。いや制度や言葉自体はあるらしい。ただ、尊重がない。職業訓練校もあるのに、尊重がない。曖昧な中で、まるで労働者階級のように、低い存在になっている
それぞれの分野を尊重するコトが、その中で生きる人の救いになる。自分とは違うが、それは素晴らしいし頼もしい。自分と違うからこそ、頼もしい。その考え方は多くの国で抜けている。抜けているなら、補えばいい。尊重を補って、みんなが救われる国へ。みんなが報われる国へ
2009年5月3日〜9日までの私のブログのトップ3を、わたし自身が選ぶコーナーです。 1位 360ど 2位 えいきょう 3位 うらづけでした。「立てば幸せ、眠れば幸せ、疲れ果てて幸せ、空腹で幸せ、満腹で幸せ、休みがあって幸せ、休みが無くて幸せ。
」か、なるほどな〜