我慢の巻
人は我慢が出来る。全てが順調に行くわけではないので、いろんなモノを我慢しなければならない。我慢は出来るのだけれども、どうも後々まで求めてしまうらしい
人は我慢出来るけれど、必要な要素は結構引きずるらしい。子供の頃我慢していたモノを、大人になっているのに欲しがったりする
普通大人になったら、子供の頃欲しかったモノなど興味がないはず。と思うけれど、結構引きずるというのは、間違いない事実らしい
人はその年代その年代で、必要なモノがあるらしい。それが得られない事も沢山あるが、それは大人になってからいろんなカタチで現れてしまう
子供の頃買えなくて、大人買いをするレベルなら良い。自分で何が欲しいのか、分かっている。意識出来る事だから、実際大人買いして子供の頃の記憶は満足してくれる
意識出来る事ならば、それを補う事で解決出来る。ただ、無意識的にやってしまう事ならそうは行かない。自分で意識していないから、まさか子供の頃の満たされない欲求が原因だなんて思いもしない
案外多いらしい。大人の問題行動が、子供の頃からの持ち越しという事実。人というのは本当に厄介に出来ている。子供の頃の我慢が、大人になっても出てくるなんて
何で大人になっても、引きずってしまうのだろう。大人なのに、なんで求めてしまうのだろう。本人がすっかり忘れているのに、欲求として残ってしまっているのは、なぜだろう
これはかなり根本的な、深い部分の記憶。呼び出せないけれど、確かにあるもの。それがいつでも欲しがるのだと思う。我慢というのは、消えてなくなるモノではないらしい
消えることなく、後回しにされる。後回しにされたモノが、ずっと持ち越されている。たとえ大人でも、高齢になってもずっと引きずっている
引きずっているからといって、それが悪いかと言えばそれも違う。良い方向に働くコトもあるだろう。なのでとても難しい。その持ち越しがある事で、繫がれる事もある
人恋しさがあって、人と繫がれる事もあるだろう。そう考えると、悪い事ばかりでもない。というよりも、みんな何らかの事を、持ち越して生きている
全てが順調に行って、生活してきたという人の方が珍しい。その人だって、逆に問題を抱えているかもしれない。良い方向に動くか、悪い方向に動くかは分からない
何不自由なく育っても、良い行動をとるかは保障されていない。結局、人はどうあるべきなのか。とても厄介すぎて、分からないコトばかり
少なくとも、大人になってからでも引きずっているのは当然で、それも考慮に入れて人とは付き合うべきだろう。人に正解なんてない。何が悪い方向に転がるか、良い方向に転がるかは決まっていない。原因はあるだろう。ただ、悪い方向に行かせるかは本人次第
半分は人のせいだが、半分は自分のせい。とするなら、半分は自分で決まる。どんなに原因があっても、半分は自分。何とかするしかない。人のせいに出来る無責任さではなく、自分の人生は自分で責任を持たないと。そう思う
2008年9月7日〜13日までの週間トップを発表します。 1位 見過ごされてと ダレも気づかない犯罪者 3位 お金で敬意でした。あたごと清徳丸の事故は、その後裁判になり詰め腹を切らされそうになった自衛官2人は無罪になった。それで闇に葬られてしまった。見事と言うしかない。これだけ見事なインチキが通ってしまうこの国のリテラシーは素晴らしい。簡単なコト、裁判所もグルだから、裁判のテクニックさえあれば、黒も白に出来る。根本的な原因は闇に葬られ、いつかまたくり返される。自衛隊の艦隊は、海に出る能力も意識も無く、またくり返す。それだけは分かっている。マヌケな国であるのは分かっている。その度にうやむやにして無罪にするだろう