あるの巻
ネットの中で、次次と素晴らしいモノが生まれる。次次と素晴らしいモノが生まれているのに。なぜだろう、なんとなくのまま
ネットはいつでもなんとなく。素晴らしいというコトは分かる。感動もある。嬉しくもある。楽しくもある。みんながいる。出入りも自由
こんなにあるのに、ナニかが足りない。なぜだろう、足りないモノは。せっかく素晴らしいのに、なんでもっと広まらないんだろう
実感がない。ネットは、実感がないからなんとなく。もしも現実のモノだったら、意識しなくても実感が生まれる。でも、ネットは実感がない
なんとなく感じるだけ。すごいなと言うのも感じ方。感動もそう。楽しいもそう。感じるというのは、強いけれど実は消えやすいモノ
感じるモノは、消えやすく持続するのが難しい。その場その場で感動出来ても、持続が難しい。なんとなくは、消えそうになっている状態
あったはずのモノが、消えかかる。感動は確かにあった。でも、消えてしまう。ネットの中ではとても消えやすい。消えないように、何か手をうたないと
なんとなくになり易いから。ネットは消えやすいから、現実のモノと違って、工夫しないとイケナイ。良いモノはみんなで大事に育てる。目に見える形にする
目に見えるカタチにして、みんなの感動を刻みつける。刻まれて、いつでも見られるようにすれば、消えにくくなる。なんとなくから、ハッキリとした感動に変わる
みんなもやっぱり良いと思っていた。それが分かると、安心感に繋がる。自分の考えは間違っていなかった、そう思える。それはとても大きい要素
待ち合わせ場所に自分だけしかいなかった時の不安。みんなが来た時の安心感。みんながいるというのは安心出来る。ネットもそれと同じだろう
自分の足跡を残すコトは、他のヒトの安心感にも繋がる。ネット独特の共感の仕方だろう。ただ、刻みつけが多くなると、手に負えなくもなる。量が増えて、読んでられない状態
そうなった時は、数字に置き換える事になるのだろう。数字が影響力になり、安心感になっていく。コレは現実の世の中でも同じで、いろんな事が数字に置き換わっている
視聴率や、売り上げ。成長率なども数字。数字に置き換わるコトは悪いことではない。でも、それでまた軽くなる。よほどの数字でなければ、なんとなくに逆戻り
ネットの中では、沢山の素晴らしいモノが、もうすでに存在している。ただ、それが正当な評価を受けているかと言えば、答えはNOだろう
なんとなくになり易いネットで、どうすればもっと実感が伴うんだろう。せっかくのネットの世界を、まだ活かし切れていない気がする。足りないモノを補えていない
それは現代人のテーマ。どうネットに価値付けをして、なんとなくから脱却させられるか。数字以外の実感が伴うなにかに、置き換えられるか。それは発明?になる
良いモノはイイ。埋もれてしまっている沢山の物達を掘り起こし、価値付けする発明。それがコレからの人達に求められる。もっと、現実と結び付け、ネットと現実の融合をしていく
実感の伴うモノと融合させて、なんとなくから脱却させる。その発明、いや革命が待たれている。革命は、行動と共にある。ネットの中の世界を行動により、いかに現実と結び付けていくのか。インパクトをもって行われる革命で、なんとなくは実感に変わる事が出来るハズ