多分分かる世の中の事

あるの巻

他人に愛がある人は、自分も愛せる。他人に愛がない人は、自分も愛せない。とても不思議な関係。何で愛というのは、自分に対してと人に対してと同じ振る舞いになるのか。探ってみたい

他人だけに愛がある人、自分だけに愛がある人。そういうヒトがいるとして、おそらくそれは本物ではない。そう答えを仮定してみたい

他人だけに愛のある人は、もしかすると無理をしているのかもしれない。頭で考えてそうした方がイイから、そう振る舞っているだけで、心から動いていないのかもしない

自分だけに愛がある人は、エゴから動いている。エゴで動いているうちは、他人に対して愛のある行動はとれないだろう

愛というのは難しい。心から動かなければ本物とは言えない。そんな条件があるとすると、愛のある行動はとても難しい

心から動くというのは、一体どうすれば出来るのだろう。どうすれば無理なく、エゴでもない行動になるのだろう。その条件を確かめたい

頭で動くのでなく、心から動くとすれば、何かを感じてのコトだろう。さて、何を感じているというのか。何を感じて動いているのかを確認する必要がある

心で感じるとは何だろうか?心地良いモノだろうか、それとも痛み?愛のある行動とするならば困っている人が対象だろうから、痛みを感じての事だろう。人の痛みを自分の痛みとして感じている

心が痛みを感じて、愛のある行動はとれる。とするならば、痛みを感じる心は何が必要なのだろう。おそらくそれは記憶。自分の中に痛みの記憶がなければ、痛みを感じることはないだろう

痛みの記憶があって、人の痛みを自分の痛みと感じる。痛みを知っていなければ、自分の痛みと思う事は不可能。経験として、まず痛みを知っているコトが条件になるだろう

ただ、痛みを知っているだけでは足りない気がする。もっと何かがなければイケないような気がする。それは一体何なのか?

それは驚きだけれども、エゴだと思う。愛のある行動の中にはエゴが含まれていなければならないだろう。エゴがあって本物になれる

痛みの記憶は助けたいという気持ちにはさせてくれる。ただ、エゴが含まれないと、無理をしてしまう。まず自分に対してのエゴがなければ、自分のチカラ以上のコトをしようとしてしまうだろう

チカラ以上というのは無理をするというコト。半分ずつにするなら愛があるが、全部あげてしまうのは無理があるので続かないというコト

愛というのは持続可能でなければイケナイ。全部あげては、続かずに終わってしまう。ある意味愛のある行動は、チカラの無さを自覚させられるコトかもしれない

決して、すぐに良い効果は出ないし、何の見返りもない。力が足りずに、ダレも救えないかもしれない。その現実を覚悟することが、本物の愛ある行動なのかもしれない

愛というのは難しい。本物になるのは難しい。結局結果が出るコトを求めるのは、幻想なのかもしれない。愛は結果が出ない現実を受け止める残酷さも必要なのかもしれない

結果が出なくてもやるか?それでもやり続けるならば、本当の愛だろう。残酷な現実の中で、それでも続けられるのが愛だと思う

もしかすると、愛のある行動と思っていたのは全て幻想だったのかもしれない。本当の愛のある行動は、ダレも誉めてくれないし、良い結果も出ないし、救えないし、自分のチカラの無さだけを感じる。その残酷を受け止めて、それでも続けるかにかかっている

幻想を愛だと思い込んでいた。愛はず〜っと続けて行くモノ。派手なモノではなく、日常の中にあるモノ。本物の愛は身近にあって、気づかない存在。自分が息を続けるように、愛ある行動はするモノ。相手に対しても、自分に対しても、それが本当の愛

2008年7月27日〜8月2日までの週間トップを発表します!! 1位 自分よりも 2位 たりないもの 3位 けいえいしゃの甘えでした

-多分分かる世の中の事