可能性の巻
人というのは、どんなモノを持っているか、誰と繋がっているか、見た目だけでは分からない。人数が多くなるほど、分から無さは増していく
可能性は広がるばかり。その中で、何かしてあげようなどと思わずに、世間話をしているだけで得られるモノは得られるのだろう
どうしても、何かをしようとしてしまうが、それは無理をする行為でもあり続かない。無理なく続ける為には、何もしないのが的確なように思う
何もしなくても、何も得られないわけではない。何か得ているし、可能性も広がっている。出来るならば、その可能性を拾って自分なりに努力してみる
自分で自分の方向性は決めるのではなく、偶然飛び込んできたモノに、乗っかってみるというのも自然な気がする。変に自分で何もかも決めようとする方が不自然だろう
なぜならば、みんな自分の能力も分かっていない。自分の能力も多様であり、全てが引き出せているかと言えば、そんな事はない
何か自分の中に響くモノがあれば、出来る範囲で努力をしてみる。出来無いことは人に頼るコトになるが、頼るコトが不可能なら自分でやってみるしかない
出来ないのだから、努力しても無駄なように思うけれど、自分の中に響くモノが本物なら、何とかなるような気がする。大切なのは、本物かどうかなのだと思う
本物ならばうまく行く。いつでも自分に突きつけられている。少なくとも響くモノならば、それなりの運命的な出逢いと思った方がイイ
困難はあるだろうけど、それは自分が本物であるかの試練。自分だけが乗り越えられる試練と言えるだろう。人任せに出来ない自分の持ち分
ヒトが持ってきてくれるモノもあるだろう。だから人とくだらないと思える世間話は、実は重要。その人がどんな良い方向に持っていってくれるかは分からないから
正直、すぐには良い方向に持ってくれるコトはない。すぐに良い結果が出るモノは、やめた方がイイ。なぜなら本物ではないから。本物ではないというのは、自分の中で、本物になる為の準備も出来ていないからというのが真実
結局本物は、自分次第。いつでも自分に突きつけられている。そして可能性は自分よりもヒトが持ってくる。であるならば、人と出会い、くだらない話をして繋がりを持つコトは、自分も人も救われることなのだろう
人は、いろんな蜘蛛の糸を持っている。それを掴まえるかどうかは、自分の心次第。いろんな繋がりの中で、自分を救う蜘蛛の糸に巡り会える
誰が何を持っているかなんて分からない。自分が何を持っているかなんて分からない。その時には心の声に従って、響いたモノを本物にしていけばいいだろう。響いたモノは共鳴だから、その音は聞き漏らさないように