多分分かる世の中の事

安定

単純の巻

私たちが安心出来る場所がある。そこはとてもリラックス出来る場所。リラックス出来るのだから、力を抜いても大丈夫なところとなる

その安心感を生む場所は、おそらく自分に求められるモノがないところだろう。何かを求められているならば、それに応えなければイケない。応えるというのは、それなりに意識を向ける必要がある

意識を向ける。それだけでも案外疲れてしまうのかもしれない。リラックスというのは、意識を向けるコトもしないで良いところ。そうは言えないだろうか

人というのは知れば知るほど複雑。何でそんなに複雑なのかと思うけれど、自分の場合で考えても、気分で行動も変えてしまうし、いつでも安定しているわけではない。なので他のヒトなら尚更、複雑と感じるのも当然だろう

複雑な人に対して、どれだけ許容出来るか。いろんなタイプの人がいるという事実が分かっていて、いざ今までに出逢ったコトのないタイプがパッと現れた時、どれだけ許容出来るだろう

分かっていても、いざ目の前に現れるとたじろいでしまう。未知の者に対して、対応出来ないのだろう。この段階で自分は、相当意識的

意識して何とかしようと務めるのが意識的。意識的であるほど、リラックスは出来ない。そこに安定も安心もないように思う。もしかすると、人は複雑な人という存在に対応出来ないのかもしれない

人は安定や安心が欲しいもの。とすると、人に対しても何とか単純化しようとするのかもしれない。型にはめて単純化する。それが自然な姿か

これだけ人が多様なのに。とくに最近はネットの世界になり、人の多様性も可視化出来るようになった。同時に人を型にはめようとするヒトの行動も見える

仕方がないのかもしれない、人は複雑な中では安心出来ない。型にはめて、自分が理解出来るカタチにならないと、安心出来ないのだろう

とても単純化したがる人間の行動は、そう考えれば頷ける。安心や安定というのは、型にはめて決めつけ単純化するコトでも成立するのだろう

それが自然だとするなら、多様な生き方を許容する社会は、不自然なコトを求めているようにも思う。決めつけや型にはめるコトからは、逃れられないのだろうか

とても悩ましいけれど、うまい解決策があるとは思えない。だけれども、まったく不可能とも思えない。たとえば文化の違う人達が住む、多民族国家という物がある

その国では多様なのが普通だろう。最初の段階で多様になれてさえしまえば、そういう物だと許容出来てしまうように思う。日本だと難しいのだけれど、慣れ。と言うのがキーワードかもしれない。多様に慣れてさえしまえば良いとするなら、そんな社会を構築してしまえば良いように思う。人には、適応能力もあるだろうから

2008年3月23日〜29日までの週間トップを発表します!1位 使い合い 2位 まざりもの 3位 石ころでした。使い合いが盛んかどうかで経済が強いか分かるって言う言い回し、とんがってて良いね!!このとんがり方が、魅力なんだろうな。もっととんがった表現を駆使せねば!!

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