味方の巻
ちょっと前まで、テレビは味方だった。感覚的な話。味方と言うよりも、あこがれに近いのかもしれない。いつの頃からだろう。ただの情報源の一つになってしまった
情報源として、テレビは優れているだろうか?即時性としてはネットの方が優れている。情報源としてのテレビの順位は低い
それでも掘り下げてくれたり、分かり易く見せてくれる魅力は健在だろう。影響力という点では、ネットよりも巨大である事は否定出来ない
掘り下げてくれていれば・・・・。その条件は付くかもしれない。影響力が巨大なだけに、中身の薄いモノは、時間を損したと思わせる。その損もとても大きく感じられる
大して掘り下げていないモノを、長い時間見せられても損をするだけ。以前よりも、損をしたと思うコトが増えたのかもしれない。テレビがつまらなくなった、よく聞く言葉
テレビがつまらなくなったとは、私はあまり思わない。面白いつまらないの価値観でしか判断出来ないのだろうけど、実際は関係性の変化だと思う
憧れや味方という対象から、ただの情報源に成り下がった。これは、大きなモノを失った証拠だろう。おそらくテレビは、生き残る為に大きなモノを失ってしまった。それで関係性が変化したように思う
東日本大震災により、福島第一原発が最悪の事態を招いた。テレビはこの事故に対する報道を誤ったように思う。それまでは視聴者の方を向いてくれていた
もちろん今でも視聴者の方を、向いているようには見える。ネットの信憑性は低いと私は思っていた。なので、ネットで山本太郎さんがデモに参加したら、テレビに出られなくなるという発言も疑っていた
残念ながら、テレビ自体がネットの信憑性を上げてしまったようだ。そしてテレビが向いているのが、視聴者ではなくスポンサー企業であるコトも、分かってしまった
テレビ局も生き残らなければいけない。スポンサー企業の方を向くのは当然だろう。ただ、その段階で味方ではなく、ただの情報源に成り下がる
しかも、スポンサー企業の為に情報も歪める可能性を持っている。情報源としても、イマイチな存在だろう。ネットは信憑性が低い、その通りだと思う。ただ、テレビの信憑性も低い、これもその通りと言える
それで私はテレビを選ぶ。選んだ結果、ほとんど見なくなった。見たとしても、どーでもいいものを、どーでもいいものとして見るだけ。自分の中で距離を置いている
この距離が全てを表している。ネットとも距離を置いている。ただ、ネットの方がいろいろと確かめられる。現在わたしの中ではネットの信憑性の方がテレビよりも高いかもしれない
ほんの最近、テレビは大きなモノを失った。それで味方ではなくなってしまった。裏側が見え、テレビ自体がその裏付けをしてしまう。テレビはスポンサー企業の為のモノ。スポンサー企業の為だけに存在する物。視聴者はそのおこぼれを貰っているだけ
関係性が、変わった今飽きられても当然のように思う。テレビに批判的な人が増えても、当然だろう。視聴者にとって、テレビというのはあまり居心地が良いとは言えない存在になってしまったから。今日はテレビの現状の裏側にある物について、すこしだけ意識下に上げてみた