多分分かる世の中の事

人間単位

感覚の巻

私たちはが速いと思うモノは、他のモノから見ても速いのだろうか。長いはどうだろう。重いは?今私たちが思うのは、人間の感覚。別の者からの視線で見れば、まるで違ってくると思う

あくまで人間単位で見た場合。それが私たちの感覚だろう。これが地球の単位だったどうだろう。地球目線で見れば、速いも遅いも長いも軽いも、まったく別のモノになるだろう

どの目線で見るかで、感覚はまるで変わってしまう。時間も空間も、物質も別物になってしまうだろう。結局何も決まっていないのだと思う

決まってないモノに、人が勝手に区切って時間を作ったり、重さを作ったりしているだけ。軽いとか重いなどの、表現を使っているだけ

物事の本質は、何も決まっていないになるだろう。人間の都合で使い勝手の良いように定めている。使っているのが人間なので、それでイイのだけれど、それが万能でない事は確認しておきたい

どういうコトかと言えば、アメーバがアメーバの単位で世界を考えていたとしても、それはアメーバの中だけで通用すると言うコト。時間も重さも長さも

人間の単位で見れば、とても小さ過ぎるモノで、取るに足りないとなるだろう。つまりは、人間の単位も別のモノの視線で見れば、取るに足りないモノとなってしまう。それを認識しておきたい

もっとゆっくり流れる世界もあれば、とんでもなく速く流れる世界もある。同じ世界にいながら、感覚で見ると違う世界に生きている

とても不思議なコトだけれども、重力の受け方だけで世界は変わる。軽い体重の生物ほど、空気が重たく感じるだろう。風が驚異だろうし、また空気も利用すれば泳ぐように飛ぶコトも出来るに違いない

世界は同じでも、違う世界。この世界は感じるモノで、実は別々なのではないだろうか。人も、同じように感じているようだけれど、厳密に言えば人によって違う世界を感じながら生きているのかもしれない

自分が感じている世界は本物だろうか。世界と思っているモノは、自分が感じているだけかもしれない。他のヒトは、違う時間の流れで、違う感覚で生きているのかもしれない。感じ方が一つだと思う方が、不自然だろうし、傲慢な気がする

2008年1月27日〜2月2日までの週間トップを発表します。1位 比較表 2位 排除 3位 自分でした。2008年の1月に、人と比較するんじゃなくて昨日の自分と比較するって出したんだな〜〜〜〜〜

-多分分かる世の中の事