普遍の巻
普遍というのは何だろう。普遍性は、みんなの共通点と言って良いだろうか。誰にも通用する、共通した部分。それは一つの真理だと思う
どんなモノにも通用してしまうわけだから、物事の核心に近い部分とも言えるだろう。さて、その真理にどうすれば近づけるのだろう
みんなに共通するのだから、みんな自体について考えていかなくてはイケない。このみんなとは、少人数ではない。とうぜん全ての人間を指すだろう
とするならば、出来る限りいろんな人や、状態を知っていなければいけない。つまり普遍性を知る前提として、たくさんのサンプルが必要なのだろう
数が少なくては、どうやっても偏ってしまう。偏ってしまうし、見落としてしまう。とするならば、普遍性を知るためには、極力沢山のサンプルを集めないといけないと言う事になる
沢山のサンプルがあって、始めてスタートラインに立てる。おそらく、このサンプルを沢山手に出来るかが最初の壁になるだろう
人は、同質の人間の中の方が落ち着く。落ち着く気持ちを捨てて、いろんな人に逢うのは困難だろう。そんなリスクのある事を人はわざわざしないと思う
いろんな人に逢えば良いと言うモノでも無い。いろんな状態、状況の人に合わなければ意味がない。それはとても厄介だろう
逢える人には限界がある。自分が逢いたくても、相手に拒まれる事もあるかもしれない。いろんな人に合うと言うだけで難しい
逆に言えば、自分の境遇や、状態というのはそれだけで価値があるとも言える。自分の素の部分も、境遇からくる部分も、大切なサンプルだろう
ワケの分からない普通に合わせる必要は無いのかもしれない。合わせて普通を演じるほど、普遍性を知るためのサンプルから遠ざかってしまう
みんな普通を演じる。それは真実から、遠ざかるようにしているのかもしれない。人間の本質ではなく、作られたカタチを演じているだけ
でもそれも、人の特性の一つと言えるかもしれない。一つのサンプルとして、有効にしなければならないように思う。サンプルは、自分の都合で捨てたりしない。全部拾うべきものだろう
全部拾って、その中に共通した要素を探す。サンプルが多ければ多いほど、大変にはなるけれど正確性は増す。一つ一つがとても大切な存在なのだろう
物事の真理というのは、一つ一つが大切な存在と気づかせてくれるモノかもしれない。少なくとも、一つでも疎かにした段階で、真理からは遠ざかってしまう。全てを大切に出来なければ、真理を追うモノとしては失格。真理を目指すなら、全てを大切にするコトが必要条件と思う
2007年12月の月間大賞を発表します!月間大賞は、見た目でした。自分の勝手な姿だけ見てたって表現、ゾクッとするね!!