方法論の巻
国と国との領土争い。そちらにばかり目が向きがちだけれど、国内でも争いは存在する。国内の対立は、どういうやり方をするかという方法論だろう。今日はその事を
領土というのは、どちらが所有するかで争われる。所有をするというのは、単純に得をすること。とくに島は、排他的経済水域というおまけも付いてくる。これはオイシイ
得をするために、領土が欲しいワケだ。それで争いになる。ただそれだけのコト、簡単なメカニズム。分かり辛いのは、国の中での争いだろう
国という枠にあっては、同士という位置づけになる。敵対するとしても、殺し合いまでには行かない。確かにそうだろう。だからこそこの争いは分かり難い
例えば国を一つの体だとする。このカラダがどちらに動くか。それが方法論になるだろう。この方法論の争いが国内では展開される
国内のこの対立により、何が決まるのだろう。この対立で決まるのは、国民の運命。国民の未来が、この対立の結果で決まってしまう
結構重要なのが、国内での争い。ただ、あまりその事に気づいていない場合が多い。かなり悪い状態にならないと、気づかないのだと思う
本来は手遅れになる前に、手を打っておくべきだろう。出来るだけ早い段階で対処すれば、傷も小さくて済む。ただ、その段階ではみんなは気づかない
国内での対立があっても、国民が気づくのは手遅れになってから。その手前の段階ではまるで気づかない。始まっちまったら、もうどうしようもない
単純に、その激流に流されていくだけ。ただ逃げ惑うだけ。小競り合いの弔い合戦が始まってしまえば、もう流れは止められない
というよりも、その段階でも止められるだけの智慧は持っていたい。始めるより、やめる方が難しい。どの段階でも、やめるやり方を持っていればそれは賢い
ただ、実際は止め方を知らないまま、感情論で動いてしまう。弔い合戦の治め方も知らないまま、突き進んでしまう。それはブレーキのない車に同乗するような物だろう
国内の争いは見えにくいが、どんな車に乗るかというコトに置き換えるとイイかもしれない。どちらの方向に向かって走り出すのか。曲がれるのか、止まれるのか、バックは出来るのか?基本的な性能くらいは確かめておきたい