誇れるの巻
ツイッターでコートジボアール戦に敗れたあと、サポーターがゴミを拾っていたという情報が流れてきた。http://irorio.jp/asteroid-b-612/20140616/142582/ これこそ世界に誇れる日本人だと思う
誇れる人というのは、おそらく無名なのだろう。誇るべきヒトの行動は、有名になるコトが目的ではなく、その内容が素晴らしいのだと思う
やっぱり日本が誇るべきは、名も無き人。名も無き人というのを覚悟して、それでもやるのか。それでもやるというのが、誇れる存在
有名な人は、誇らしいかもしれないが、本物ではない。本物でないというのは、その人ではなく有名になるという行為自体
有名というのは、誰かが仕掛けていくその結果だろう。なぜ仕掛けなければいけないかというと、社会的地位や商業的価値を上げるため
有名と言うコト自体、本質とは違うのだろう。本来誇れる事は、無名の中にある。無名の人によって、作られるモノだろう
だから美しい日本だとか、強い日本だとかはとてもうさんくさい。そんな聞こえのイイものが、誇れる日本だとは思えない。無名の中に本物がある
有名なモノは、社会的商業的に装飾されたモノ。つまり国の都合や企業の都合で歪められている可能性がある。歪められていると言うより、利用されていると言ってイイ
というコトは、有名な者はその分を引かないとイケない。無名になって残るモノが、本物だろう。なので、全て無名にするイメージして考えてみる。それで本物の価値が分かるようになるだろう