限定的の巻
この国のために戦った人を英雄だという人がいる。別の国でも、その国のために戦った人を英雄だという。おそらく英雄というのは、自分の国の中だけで有効な限定的なモノだろう
命を賭けて戦った人を誇りに思うという人がいる。ただ、それは自分の国に限られるだろう。他所の国にも沢山命を賭けて戦った人はいる。他所の国の人まで誇りに思う事はあり得ないだろう
なぜだかとても限定的。その国の中だけで有効。それはなぜだろうか。この答えは簡単だろう。自分の国の都合でしかないから。自分の国の都合の範囲を、越える事は出来るワケがない
みんな都合で英雄やら、誇らしいやら言っているだけ。さてさて、そんなモノは本当に英雄で、誇らしいのだろうか。ご都合で命をかけ、命を奪い、命を落としただけではないのだろうか
それよりももっと誇らしい事があるように思う。それは他の国のヒトも、誇らしいと言ってくれる存在。どちらかと言えばそちらの誇らしさを薦めたい。その誇らしい存在とはどんなヒトなのか
他の国のヒトも認める誇らしい人は、他国の人の命を救った人。これはのちのちまで、賞賛される行為。命を救ったと言う事実は、時代を越えずっと語り継がれる行いだろう
人の命を助けるというのは、簡単ではない。しかもそれが他国の人と言うコトであれば尚更だろう。なぜそう言えるかと言えば、都合が一切ないから
都合で言えば、自分の国の人だけを助ければいい。他国の人を見殺しにしたところで、誰も文句は言わないし、そんな事実も分からないだろう
自国の都合で動いた方が、当たり障りもないし、問題も起こりにくいように思う。他国の人の命を救うというのは、ご都合に反した愚かな行為ともいえるように思う
なぜ、そんな愚かな行為をしてしまうのだろう。そしてその愚かな行為が、なぜ時代を越えて賞賛されるのだろう。それは純粋だから
自分の国のために行動する人は、不純なのだろう。自分の国のご都合で動いていれば、それなりの保障は貰える。単純に自分の為の行為だ。それは自己犠牲を含んでいても、時代を越えはしない
みんな一緒になって、自国のご都合に乗っかって、自己犠牲をする。それはどこの国でもあり、その国限定で誇らしい事となっている。ただいっぱい居るので、名前が記憶に残る事はない
その他大勢の、記憶に残らない誇らしい人達。それが、自国のために自己犠牲をした人達だろう。おおざっぱで限定的な賞賛はあっても、個人個人が称えられる事はあり得ない
称えられると言えば、靖国神社で一緒くたにされて称えられる位で精一杯だろう。それで良いと言うのなら、それでも構わない。ただ、この国の人間として誇らしい行動はあるように思う
たとえば他国に自費で行き、病気を治す医師がいる。日本人はほとんど知らなくても、ずっとそういう生き方をしている人はいる。おそらく、後々その国に行った時、その国のヒトからその人の存在を聞かされるだろう
人を救うというのは、大して表に出ない。生きているうちに、誰かに誉めてもらえるコトもないかもしれない。勲章を貰えるモノでもない。それでもやるかどうか
本当に誇らしい行為は、とても地味な積み重ねとして存在する。誰もその人に気づかない。通り過ぎていくだけで、後になって聞かされる。純粋すぎる本当の人助け
ご都合でみんなと一緒に、自己犠牲をやるか。人知れず、人助けをするか。この国のヒトが誇らしいと思うべきなのはどちらだろうか。少なくとも、ヒトを殺す誇らしい事と、人を救う誇らしい事があるというのは確からしい
2007年8月の月間大賞を発表します。8月の月間大賞は、痛みに決まりました!!このころから、当事者意識の事を言ってたんだな。なるほなるほなるほぉおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜