多分分かる世の中の事

図々しい

ワガママ?の巻

図々しいというのは、とても迷惑だ。今日はそんな迷惑の一つである図々しいについて考えてみたいのだけれど、どちらかというとプラスにスポットを当てる方向で展開していく予定

図々しというのはワガママなのだろうか。私の中では、ずっとワガママだと理解していた。だけれども、少し違うのではないかという、違和感を感じてしまった

この違和感をハッキリさせるために、今日は図々しいを考えてみたい。まずワガママと同じなのか、違うモノなのかに決着を付ける必要がある

少なくとも、他者から見ればワガママも図々しいも同じに映るだろう。それで私も、ずっとワガママという理解を疑いもしなかった。他者という目線で見れば、同じ物なのだろう

ただ、その人の中で同じなのかと言うと、話は少し違ってくる。ワガママというのはとても意識的な物。意識的に自分の思い通りにしようとするのが、ワガママだろう

では、図々しいも意識的だろうか。ここには疑問がある。意識的なワガママに対して、図々しいは意識的とは思えないフシがある。なぜなら図々しい人は、自分が図々しいと気づいていないから

おそらく気づいた時点で、ワガママに変わる。図々しいというのは、意識的ではなく無意識的な行為だろう。無意識なので図々しいと気づいていない。そう考える方が自然だろう

ワガママか図々しいかを分けるのは、意識か無意識かになる。無意識ならば図々しいに選別出来る。意識的なワガママは、迷惑だし否定されるべきだろう。ただ、図々しいが無意識である限り、迷惑な行為として処理するのが好ましいかは疑問

本人に自覚がないのだから、いきなり否定しても可哀想だ。それよりも考えておきたいコトがある。なぜ無意識的に図々しくなれるのか。何がそうさせるのかを

おそらくそれは、プラス思考ではないだろうかと思う。何でもかんでもプラス思考ならば、図々しい行動になるのではないかと予想する。意識的にプラス思考ではなく、無意識でプラス思考

何でも良い方に捉え、何でもプラスにしてしまう。それを自然に出来てしまう人は図々しいと言えるのではないか。プラス思考ならば、悪いと責め立てる人はいないだろう

人の能力として、プラス思考が自然に備わっている人がいたなら。世間やその場の空気を読まず、自然なプラス思考で振る舞ったとしたらどうだろう。それこそまさに図々しいではないだろうか

プラス思考であっても、それは時には迷惑にもなる。ただ、プラスにも働くコトが出来る能力でもあるだろう。これを意識的にではなく、自然と持っている。その場合に図々しいになる。そう結論づけると、今まで出逢った、いろんな図々しいヒトの行動も頷ける

あの人達は自然なプラス思考だった。自分としてはとても納得出来る結論に辿り着けた。人はいろんな能力を持つ。図々しいは、能力が無いのではなく、プラス思考の能力を持っている。なるほど、それも一つの能力なのか。納得

2007年7月22日〜28日までの週間トップを発表します。1位 いつも 2位 先の事 3位 道理にかなう でした。

今日は、1位の内容が面白いのでそのままここに載せたいと思います

週間トップの『いつも』

いつも、なければならないもの。

いつも、なければならないもの。自分のダメな部分の居場所。

いつも、なければならないもの。相手のダメな部分の居場所。

いつも、なければならないもの。ダメな所を、踏まえて次に向かう力。

いつも、なければならないもの。立ち止まって考える気持ち。時間をかける余裕。

そう。いつもね。

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