多分分かる世の中の事

STAP化

姿勢の巻

私は普段いろんな国の言葉を習得しようとする実験を自分でしている。現段階では日本語しか喋るコトが出来ない。それでイイと思っている。一生続けるライフワークの一つがその活動

日本語をどんなに使えるようになっても、卒業するという事はあり得ない。当然だろう、日本語を使えるのだから、一生使えば良いだけ。言語に卒業はない

他の国の言葉も、当然一生続けてみる。少しずつでも、それなりに積み上がっていくと想定しながら。いろんな国の言葉を、同時に習得しようとする実験の中で、自分なりの発見があった。今日の内容はそれになる

その発見なのだけれど、記憶を使うと言うか、ねじ曲げるというか。ともかく幼い記憶に結び付けるというやり方になる。幼い記憶は誰しもが持っているだろう

なぜ幼い記憶を持ちだしたかといえば、生活に根ざしている時期だから。幼い頃の記憶はその次の段階の高度なモノではない。高度なモノではなく、土台となるモノだろう

土台を作ってから、高度な知識は有効になる。最初から高度なモノを身につけようとしても、土台がないままでは厳しいだろう

言葉を聞く時に、子供の目線で聞いてみる。出来れば3歳か4歳の目線が好ましい。その目線で他国の言葉を捉えてみる。自分がその国の子供になったつもりで

大人の目線では、逃げが利いてしまう。拒否も出来てしまうだろう。それではいつまでも身につかないのは当然だろう。これが幼児の目線では違ったモノになる

幼児は大人の言っている事は分からない。分からないけどしっかり聞いている。意味は分からないが、受け止めようとする姿勢はある。それが大切だと思う

なぜならば、取りこぼさないから。幼児は理解出来ないけれど、全てを受け入れている。全てを受け入れてしっかり蓄積している。その蓄積こそが、将来に花を咲かせるのだろう

大人になると拒否をして、停止させてしまうので、取りこぼしてしまう。生まれた国の言葉に逃げて、閉じこもってしまうのだろ。それでは蓄積されないので、やはり目線は幼児が好ましい

ただ大人になると、幼児目線にするコトが難しくなる。そこで使うのが、幼き日の記憶。その記憶とは、例えば遠足。例えばプール

幼き日の記憶の中をねじ曲げて、その国で生まれた中で遠足に行った、と言うカタチにしてみる。実際にそんな事はあり得ないのだろうけど、だからこそ思い出を他国の言葉でしゃべっているように書き換えてみて欲しい

それをやっていくと、素直に受け入れられるようになる。とても不思議だが、幼き日の記憶と結び付けられた言語は、なんの抵抗もなく受け入れられてしまう

幼い時期は、未来が沢山ありこれからこの国で生きていこうと覚悟する時期。その時期の記憶をねじ曲げれば、その国で生きていこうと何の抵抗もなく、覚悟出来るのだと推測する

私は子供が覚悟を決めるのは時期があると考えている。であるならば、自分をSTAP化して幼き日に戻してみるというのは有効だと思う

万能細胞には成れないけれど、分岐したばかりの幼い自分には戻れるように思う。それは、幼い頃の記憶をねじ曲げ、他言語に結びつけるだけで可能だろう

大人目線では上手く行かない。大人は覚悟をしてずいぶん時間が経っている。覚悟というのは分岐だろう。もう分岐して固定されてしまっているのだろう。であるならば、固定する前の記憶にアクセするというのは、理にかなっているのではないだろうか。さて、私はいろんな国の言葉を同時に習得する実験を、これからも続けていく事にしよう

2007年7月8日〜14日までの週間トップを発表します。1位 気分 2位 ありもの 3位 ヒトをでした〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜よ〜〜〜〜ん!

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