挑戦の巻
いつもの事ながら、個人的な話。私は今、いろんな事に挑戦する時期にあるらしい。その時期にあるのだが、困った事がある。それは私の中で、挑戦に漠然とした畏れを持っているコト
普通に挑戦すればいいだけだろう。そうも思う、それでも何かがコワい。というコトで自分の中の何が畏れを生むのかを、探ってみる事にする
いや、自分の中でも畏れというのは、バカバカしく感じている。だからこそ尚更、それがどこから来るのか、探ってみたい。とても恥ずかしい原因かもしれないけれど、包み隠さず正直に突きとめてみよう
さて、挑戦する時の畏れだけれど、これは自分の中ではブレーキ。不思議だけれど、何とも言えない重さを感じる。やろうとする気持ちに対して、後回しにしようとする気持ちも強くあり、綱引きが始まる
なぜすぐ始められないのだろう。始めてしまえばいいように思うけれども、待てが掛かる。自分の中で自分に掛ける待て!はなんなのだろうか
成功のイメージがあるならば、おそらく待て!は掛からない。分かった!自分の中にあるのは失敗のイメージ。そのイメージが慎重にさせる
そうかそうか、簡単なコトだった。私はただの臆病者なのだ。それでいつでも後回しにしようとしてしまうのだ。おそらく失敗という悪い結果を受け入れる度量がないだけだろう
もしも失敗を受け入れられる度量があれば、どんどん挑戦出来る。ここまでの流れだとそう言える。果たしてそれは正しいコトなのだろうか。それも考えてみよう
失敗を受け入れるだけの度量があれば・・・・・・・・う〜〜ん。うん、間違いない、度量があれば挑戦出来る。私が挑戦する時後回したがるのは、度量がないからだろう。それで決まり!
もっと言えば、失敗した自分を許してあげられないからだろう。自分を許してあげられたら、じゃんじゃん挑戦出来る。失敗も沢山するだろうけど、その度に許したならば平気でいられる
失敗という経験は苦くても、その蓄積は次に繋がるだろう。更に自分を許せる人は、他人も許せるだろうから、寛容であるとも言える。度量があり寛容さもある。それは一つの理想のような気がする
失敗して誰かを傷つけたり、大切な物を失うなら慎重になった方がイイだろう。ただ、何も失わない挑戦ならじゃんじゃんやるべき。どうも臆病な自分は、何も失わない事にまで慎重になっている。直すべきは臆病な自分だろう。じゃんじゃんやればいい
自分を許し、他人も許す。失敗を受け入れ、失敗した自分を許す。それが出来たらどんどん挑戦出来るだろう。それでもまだ畏れる自分は出てくるように思う。その時は、一番の失敗を想定して、そんな自分を許すイメージを持とう。それで少し気楽になれると思う。おそらく失敗したとしても、思っていたのと違うカタチになるはず。なぜなら現実は頭で考えているモノとは違う。挑戦して、現実の経験値を溜めていこう。その為には、どんなに失敗しても、自分を許す事だろうと思う
2007年6月の月間大賞を発表します!!月間大賞は、なだらかでした。時間をあげるんだね。何もしないで寄り添うんだね。なるほど、難しいけど、なるほどです