自由の巻
あれしちゃダメ、これしちゃダメ、こうじゃなきゃダメ、ああじゃなきゃダメ。こんなモノが多い社会は息苦しいだろう。これは当然日本の話
あれこれダメダメの中で、価値を持つ物がある。それはパスだ。あれこれダメダメの中で、そこをスッと抜けるコトが出来る。このパスを持っていれば、わずらわしさから解放されるだろう
だからこのパスを欲しい者は、このパスに依存する。あれこれダメダメ社会を否定することなく、パスにしがみついてしまう。自由であった方がいいだろうと思うのだけど、少し違うらしい
パスという特別な存在、それを否定されるのを嫌う。自分達の首を絞めている物であっても、そのルールを絶対視し続ける。何とも不思議な現象だろうか
パスを得る為に捧げた人生を、自分で否定出来ない。自分がその中に入り込んでしまっているから。特権的なパスの存在を否定していても、自分が否定された気分になるらしい
確かにこの国の中では、パスは充分チカラを発揮するだろう。あくまでこの国では。実は範囲が決まっている。この国から外れてしまえば、さほど効果を発揮しない
パスは限定的だったりする。広い世界では無効と言ってもイイだろう。自由な世界では、役に立たないと言ってもイイだろう。パスは内弁慶な道具だと言える
パスが有効なこの国では、それなりの効果がある。ただ、そこから少しでも外れて外の世界になった途端、魔法が解けて裸の自分に戻る。そうなっても自分のままで居られるだろうか
自由や無差別な中では、この国のヒトは弱いように思う。とくにパスを欲しがる人なら、余計そうなる。結局差別的な中で、生きていたいのだろう
表向きな差別ではないだろうけど、優遇という差別はこの国に存在する。そして門前払いという差別も横行しているだろう。この国は、パスを持つポジションの者がチカラを持てるルール
お墨付きや、パスを信用し実質を見ない。と言うよりも実質が分からないのだろう。判断材料を他者に委ねて、安心する思いが差別を生み出しているのかもしれない
パスは一つの基準。それは間違いはない。ただ、通用する範囲はこの国まで。それで充分なのだろう。他者に判断を委ねる人は、この国の中だけだから
内向き内向きのその姿勢が、ガラパゴス化を生む。まずはこの国のルールでパスを得ないと、チャンスさえない。たとえ能力があっても、育まれることなく潰されてしまうのだろう
正直、育んでくれなくてもイイように思う。ただ、潰さないで欲しい、そう望むばかり。結局差別的なルールの中で、沢山の物を潰してしまっている。それが一番の問題と、ここに記したい
グローバルな転換期の中で、この国のパスがどれだけの効力を示すか。グローバルな中では、差別的な優遇は期待出来ない。その時に真の力が試されるだろう
さて、この国のヒトに真のチカラは期待出来るか
2007年6月17日〜23日の週間トップを発表します!!1位 はじまり2位 ありふれて3位 得る あと、この頃からこんなコト言ってたんだって、自分の中では大切な考え方の二つ。先人とあいだもね。落とすには惜しいから。
※いや〜、この週は豊作だったな。自尊他尊全尊か。その考えすっかり忘れてた。相変わらず読みにくいけど、自尊他尊全尊はこれから使って行こっと。おまけの二つも、このあと自分の中で重要な考えになるからね。入れちゃいましたよ!!はい!