腰かけるの巻
同じコトをしている。それなのに、とても苦しかったり、ありがたかったりと、感じ方が違う場合がある。まったく同じコトをしているのに、感じ方が違うのはどう考えても不思議
このような摩訶不思議な感覚を生み出すのは、危機感らしい。実は、危機感が有った方が同じコトをしてもありがたいと感じる。これまた不思議な答え。危機感のような、出来れば避けたいモノがある方が、ありがたいと感じられるなんて
だいたい苦しい事なら、どんな状況においても苦しいハズ。苦しさというのは、そんなにいい加減な感覚なのだろうか。苦しみは絶対的なのではないのか
おそらくそこに関係してくるのは、優先順位。人は身の安全が確保されると、優先順位が変わってくる。つまり生きるコトが保障された時、人が気にするのは自分の為の時間となる
生きるコトのために使う時間よりも、自分の為に使う時間を優先したい。だからこそ、それに反する事はとても苦しくなる。であるならば苦しさは絶対的ではなく、とてもいい加減という方向もありうるかもしれない
危機感のスパイス。自分の身に危険が迫るほど、人は回避行動の優先度を上げていく。とすれば、それがどんなに苦しい事でも、気にしなくなる。気にしてなどいられないと言う方が、的確だろうか
日常が苦しくても、ライバルが登場して危機感が増しただけで、苦しいなんて言ってられなくなるかもしれない。人の苦しさなんていい加減なモノなのだろう
危機感が増せば、苦しいとかイヤだななんて、それどころじゃなくなる。ともかくやらなければいけない。その状態が幸せなのか不幸なのかは分からない。ただ苦しいのは不幸だ
とても不思議だけれども、苦しい時の危機感は必要なのかもしれない。逆のコトをいえば、社会が豊かになるほど苦しみが増す。そう言えなくもないだろうか
社会は豊かになる。だったら苦しみが増すね。それが答えだとすると、私たちが想い描いているモノとは、別物となるだろう。何とも不可思議だが、それが真実なら面白い世の中だ
豊かになるほど苦しくなる。なぜなら自分の時間を優先するからだ。自分の時間を阻害する要因は、全て苦しい事になるだろう。とても面白いが、真実のように思う。私たちは、何か思い違いをしていたのかもしれない
2007年4月29日〜5月5日の週間トップを発表します!1位 チカラ 2位 毒 3位 水増しでした。いや〜、1位はチカラに溺れっぱなしの安倍総理に見てもらいたい内容だね。ホントそう思う