多分分かる世の中の事

おもいのつよさ

2006年度、最優秀ブログが決まりました。最優秀ブログは、美しい表面です!!おめでとうございます。ありがとうございます!!みなさんのおかげです

はざまの巻

それではレギュラー模索中を始めましょう

人と自分の境界線は埋まるコトを知らない。個と個とは別の物体なので。それは受け入れないといけない現実。かといって境界線を飛び越える手段がないというコトでもない。人はカンタンに境界線を越えられる。言葉を使って

自分の想いと人の想い。人間という小さな箱の中に、一つの世界があるらしい。世界と世界の交換が言葉でなされている。境界線を飛び越えて、世界と世界を結んでいく

自分の中の世界は、時に膨張するし縮小もする。激しく猛る事もあれば、穏やかにたたずむ事もある。激しさと穏やかが言葉によって伝わった時は、どうなるのだろう

戸惑うしかない。想いが強すぎると、相手構わずにぶちまけ出す。おそらくそれを受け止められる人はいない。その事に気づかず、自分が納得するまで放ち続けてしまう。そもそも世界が違うから、食い違いや伝達の不備は起こりやすいというのに、更に自分本意にぶちまけたら相手も対応出来ない

戸惑って、何とかその場を凌ぐだけになる。想いが強すぎて、相手を戸惑わせてしまっているなど考えてはいない。しっかり受け止めて何か答えてくれるだろうと期待している。話している途中から、もう相手の心は離脱していたのに、まるで気づかない。そういう事はよくある

話によって個の境界線は飛び越えられる。ただ、世界を共有しているワケではない。相手が分かってくれると思うのは期待しすぎ。相手が分かってくれるとするなら、もう少し段階を踏まなくてはね

相手も世界がある。その世界を分かって貰いたい。当然分かるワケないのだけれど、時間を使ってゆっくり説明してくれたなら、少しずつは理解出来る。あくまで少しずつ、これは絶対条件、宇宙の法則のように揺らがない

ドバドバ出すのは自己満足。相手が受け止めてくれるハズもない。ただ、自分の中で高まってしまったなら、自分でも止まらないくらいぶちまける。とても困るのだけど、そういう時もある。迷惑をかけてしまうが、それはお互い様なのかもしれない

人は自分をコントロール出来るようで、どうだろう、出来ていないよね。自分の世界の中で高まったモノを、コントロールしながら出すのは難しい。しかも相手も出したいとなると、まるで噛み合わない言い合いになる。そんな光景は人の世界ではよくある。どちらかといえば、噛み合うコトの方が不思議なのかもしれない。人は個であり、別々の世界を持っているから。さて、どうするべきか

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