いきなりですが、2006年5月14日〜20日までのトップブログを発表します!!な・・・・なんとっ!!ななんと!!アメリカの最大の発明フレンドリーに決まりました〜〜〜〜〜!!おめでとうございます!!それじゃこの勢いに乗って、今日のブログも始めますよ〜〜〜〜〜〜〜!!
しゃべるの巻
こんにちは。近々小学3年生から英語教育が始まるらしい。今日みなさんと考えて行きたいのは、英語教育ではなく、その裏側にある本当の敵について。今日そこまで突き止められるかは分からないけれど、始めてみたい。何のことか分かり難いかもしれないけれど、それはジックリゆっくりと。しゃべる・・・・・・・・
しゃべるコト。しゃべるコトが出来る。小学校から英語を始めれば、英語がしゃべれるようになる。知恵のある大人達が、そう考えたんだから日本人は間違いなく英語をしゃべれるようになる。「子供の内から始めるんだから、英語しゃべれるようになるでしょう。」あんい・・・・・・・・・・・・・
安易な幻想。英語をしゃべれるという、安易な幻想。どうも根拠もなく子供の内からやっておけばと言う理由だけで、英語教育が始まってしまうらしい。「英語しゃべれなかった人が、子供に過度の期待をしちゃうパターンだろうね。」くふう・・・・・・・・・・・
工夫をする。しゃべれるように工夫をする。中学校からの英語教育とは違って、小学校の英語教育は工夫をするらしい。「文法中心の英語にはならないみたいだね。」もくてき・・・・・・・・・
違う目的。小学校と中学校からとで、違う目的。小学校では、英語に親しむ為のモノ。中学校からは受験の為、もしくは点数を取る為のモノで目的が違う。「小学校から英語に親しんだのに、突然中学校で受験の為の英語になったら、混乱するだろうね。」つごう・・・・・・・・・
都合で歪む。英語教育は都合で歪む。何で英語が点数を取る目的になるかと言えば、学校側の都合。優劣をつける道具としての英語なので、実際にしゃべれるようにならなくても構わない。「入試でも優劣つけられれば振り分け出来るから、都合が良い。しゃべるコトが目的でなければ、しゃべれない結果を受けても修正する必要無いし。なんだかオカシイよね。」じつ・・・・・・・・・・・・
実が伴わない。英語がしゃべれないという、実が伴わないやり方。英語がしゃべれないのに、ずっと存続する英語教育。そんなヘンテコリンなモノが今までもこれからも存在し続ける。まるで実を伴わないのに、修正されることはない。優劣を決め振り分ける目的では、しっかりと存在している。とても不思議な状態だが、そこに本当の敵が隠れている。まだ、核心からは遠いけれど、今日はここで一端締めたい
小学校の英語教育が始まるというネタから、英語教育自体。そしてその裏に隠れた本当の敵をにおわせる所まで、展開してきた。明日は本来はどうあるべきかを、核心の扉を開く鍵として話を進めていきたい。どうも心の中にある根深いモノが、本当の敵らしい。明日はそこまで突き止められるか分からないけれど、やってみようと思う。それでは今日はこの辺で。明日も週間トップを冒頭で決めてる予定です。それじゃ、バイなら。ならイバ!!