多分分かる世の中の事

こみゅにけーしょん

つきあいの巻

現代人て、コミュニケーションが下手だと言われる。今日みなさんと一緒に考えて行きたいのがそれ。おそらく現代はコミュニケーションをとらなくても生きていける。それが原因だと思うけど、どうだろう。ひつよう・・・・・・・・・・・

必要性。コミュニケーションの必要性がない。技術の発達と共に、直接逢わなくてもコミュニケーションがとれるようになってしまった。というコトは、直接のコミュニケーションが必要無い環境なのかも。「電話が出来て、メールが出来て、スカイプが出来てだから、確かに直接のコミュニケーションは減ってるかな。」えらべない・・・・・・・・

昔は選べない。直接のコミュニケーションしかなかった昔は、選ぶコトが出来ない。苦手であっても、それしか無いのならばやるしかない。直接コミュニケーションをとるしかない。「昔からコミュニケーションが苦手なヒトは居たかもしれないけど、昔はそんなコト言ってられなかったんだろうね。」もどり・・・・・・・・・・

後戻り。技術の無かった時代に、後戻りは出来ない。後戻り出来ないけれども、コミュニケーションは現代でも必要。その時にどうすればイイのだろうか。現代は現代なりのやり方を、考えていかなければイケないような気がする。「何か上手いやり方があるような気がするンだけど、どうだろう。」たりない・・・・・・・・・・・・

足りないモノ。現代を生きる者に足りないモノ。もしかすると、コミュニケーションをとる為に足りないモノがあるかもしれない。いや、それは昔から足りなかった。でも昔は技術がなかったから、やるしかなかった。今は、技術が進んで無理矢理に直接コミュニケーションをとる事がなくなった。それで問題が色濃く出て来てしまったのかもしれない。「昔から種はあったけど、深刻な問題になったのは、現代からなのかも。」おぎなう・・・・・・・・・・・

足りないモノを補う。その足りないモノを補えば、コミュニケーション能力は高まるのではないか。それが無い為に、コミュニケーションが苦手なのではないだろうか。しかも現代求められるコミュニケーションは、より高度なモノ。それを身につけるのに必要な、足りないモノとは何だろう。その足りないモノについての、私の解答は明日出したい。出来ればみなさんも、その足りないモノについて、考えていて欲しい

ヒトとは何か、社会とは何か、協力とは何か。足りないモノには、その答えも隠されているように思う。なのでみなさんも、みなさんなりの解答を用意しておいて欲しい。現代において、それが一番大切なモノのように思う。そして私たちが大切だと思ってきたモノは、現代には少し強すぎるモノだったのかもしれない。くわしい説明は明日したい。それでは明日をお楽しみに〜〜〜〜〜〜!!!

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