多分分かる世の中の事

かぞく

闇の巻

2006・9/1訂正します。2008・9/1のブログカッコを元に、考えてみます

<家族は、共有。闇を共有して解決していく。痛みを与えるヒトは、自分の中に痛みを抱えている。向き合うしかない>

気になる所と言うのがある。気になる所はヒトそれぞれ違って、場合によってはなじるという形で表れる。それが、家族から来る場合はとてもしんどい。今日はそんな話。きず・・・・・・・・・・・・・

傷になる。自分の傷になる。家族からなじられると、自分の中で深い傷になる。なじられる理由も分からない場合、いつでも緊張しなければいけない。・家族間で、緊張があるのは結構きついんだよね。おいつめる・・・・・・・・・

自分を追い詰める。いつも自分を追い詰めている。なじりによって、それはあとあとまで自分を追い詰める。あとあとがどの位かと言えば、大人になってもずっと。・そこまでの傷になるようなコトを、なんで家族がしてしまうのかね。なじる・・・・・・・・・・・・・・・・

なじる側に。実はなじる側に、傷がある。その傷が痛んで、同じコトを家族にもしてしまう。自分が追い詰められているからこそ、人を追い詰めてしまう。・確かになじる時はヒステリックだから、その傷がそうさせているのかも。やみ・・・・・・・・・・・・・・・・・

家族の闇。代々続く家族の闇。その傷は、代々受け継がれてしまっている闇かもしれない。この傷というのは、家族間のどこかで解決しないといけないテーマ。・家族って、痛みを共有してみんなで治していく集団なのかも。びょうにん・・・・・・・・・・・・・・

全員病人。スタートは全員病人になってから。同じ痛みを知って、その痛みをどう乗り越えていくか。乗り越えられない場合は、次の代に送ることになる。・痛みが深かったり、向き合おうとしないと次の代に送ることになっちゃうのかも。きょり・・・・・・・・・・・・

距離が変わる。代が替われば距離が変わる。痛みに対しても、自分の中で距離が出て冷静に判断出来るようになる。その時に、どう振る舞うか。・どう振る舞うかで、そのループから抜け出すコトが出来るかも。るーぷ・・・・・・・・・・

同じループ。向き合わなければ、ずっと同じループ。自分の問題とはせず、他人事にして向き合わなければ、ずっと同じループ。何代をかけたとしても、同じ苦しみが待ち受ける。・抜け出すタメには、自分のコトとして向き合うのか。それって一番大変なんだけどね。こうりゅう・・・・・・・・・・

他者との交流。成長する過程である、他者との交流。家族間だけなら解決出来無くても、他の家庭と触れあうことで、解決法が見つかるかもしれない。・他の家はこうやってるから、自分の家にも持ち込んでみようって、挑戦が良い方向に向かわせる事もあるってコトだね。よわい・・・・・・・・・・・・・

人は弱い。親だったり、その親だと言っても人は弱い。闇を抱えて、その痛みから人をなじる事もある。結果大切な家族を苦しめてしまう事も、出て来てしまう。そんな負のループから抜け出すタメには、向き合っていろいろ試すしかない。誰かを苦しめる時、その本人も苦しんでいる。なので、まずは許し。許すコトで傷が癒えていく。傷が癒えたならば、追い詰める必要もなくなる。その瞬間、ループは解消され家族が抱えた問題は解決する。家族というのは、そんな共通の問題を抱えた集団と言える。今日はそれをまとめとしましょう

家族は、共有。闇を共有して解決していく。痛みを与えるヒトは、自分の中に痛みを抱えている。向き合うしかない


なるほどね。親であっても、闇を抱えているんだね。しかもそれは代々引き継いでしまっているのかもしれない。なかなか深い展開です。でも、納得出来る部分もあるんじゃないでしょうか。闇というような重いモノでなくても、軽いモノなら心当たりがあるヒトも、多いような気がしますね。それを一つ一つ解決していく為に、家族って言う集団がいるのかもしれないですよ。敵対していたり、でも味方だったりが家族なんでしょうね。ハイそれじゃ、こんな所で明日に繫ぎましょうか

哲学・思想

明日は、『値段』というタイトルで、根拠について考えます。お楽しみに!!

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