可能性の巻
2006・5/29ニンゲンの幅を再定義してお送りします
<切り捨てすぎるは、可能性。理解出来ない存在は、それだけの何かを持っている。面白い存在に変換して、潰さないようにしたい>
自分の理解出来ない者は、切り捨てる。この過去記事は、その事について書いてある。切り捨てるのは仕方ないかもしれないけれど、切り捨てすぎるのがマズイ。そう書いてある。まったくその通りだと、7年経っても思う。執着・・・・・・・・・・・・・・・
執着する。自分が理解出来ない物にも、執着する人がいる。執着すると言うコトは、その人がそれだけ大切にしているというコト。理解出来ないが、その人は大切にしている。・人って不思議なくらい、大切にしている物が違うよね。世間・・・・・・・・・・・・・・・・
世間の目。自分だけではなく、世間的な目で見ても、とても理解が出来ない。そんなモノに執着している人に、どう接すればいいのか。大概は、『変なヤツ』『バカ』として潰してしまう。・理解出来ないと同時に、テンポも合わないんだろうから、異物感は確かにあるね。異物・・・・・・・・・・・・・・・
異物の役目。先人達の中で、素晴らしい功績を残した人は、たいがい異物。その時代の人達に、理解されていたという方が希。世間の異物は異物で、役目があるのかもしれない。・異物だからこそ、出来る事ね。可能性・・・・・・・・・
可能性がある。理解出来ない人が、素晴らしいコトを成し遂げる可能性はある。自分や世間が理解出来なくても、素晴らしいコトを成し遂げる可能性があるなら、潰したくはない。・最初から素晴らしいコト成し遂げるって、分かってるなら良いけど、分からないから難しいんだよね。潰される・・・・・・・・・・・・・・
可能性が潰される。素晴らしいコトを成し遂げられるのに、潰されてしまった物はどれだけあるのだろう。素晴らしい物を世に残せた人は良いけど、潰されてしまったヒトも多いように思う。・気づかないうちに、とんでもない素晴らしい物、潰しているかも。罪・・・・・・・・・・・・・・・・
罪がある。日常的な、排除は罪かもしれない。理解出来ないからと言って、切り捨ててしまうのは、実はスゴイ物を潰してしまっているのかもしれない。・今まで人類がどれだけの物を、潰してしまったかは、考えるだけで恐いね。方法・・・・・・・・・・・・・
潰さない方法。切り捨てすぎるのは良くない。かといって、世間とテンポの合わない、理解しがたい人とどう接して良いのかも、分かり難い。さて、どうすればいいのか。・確かに潰さない方法は、難しいね。面白い・・・・・・・・・・・・
面白いとする。理解出来ない物は、全て面白いとする。面白い領域に置いておけば、潰す事もない。いずれそれが素晴らしいモノに変わるかもしれない。面白いと置けば、自分も守れるし、相手も守れる。・面白い自体、許容量が大きいので、制限することなく接するコトが出来るね。変換・・・・・・・・・・・・
変換する。理解出来なかったら、面白いに変換する。それだけで相手も傷つけないし、自分が面倒を被るコトもない。どうせ無理しても理解出来ないのだから、面白いとしてお茶を濁すだけで良い。それが潰さない秘訣。というのを今日の結論として締めましょう
切り捨てすぎるは、可能性。理解出来ない存在は、それだけの何かを持っている。面白い存在に変換して、潰さないようにしたい
確かに、理解出来ない人は、キモいって言って、自分から遠ざけたくなるけど、それって危険。だって、可能性を秘めているんだからね。モッタイナイよ。理解出来ない物は理解出来ないままで。そのままで、その場はお茶を濁す。潰す必要は無いんだよね。世の中どれだけの人が潰されている事か。理解出来ない人が、潰されずにいられる世の中にしていきたい物ですね。はい。それでは明日に繋げたいと思いますよ
明日も、過去記事を再定義しましょうね。再定義する事で、自分の中でもいろんな物が思い出されますよ。再認識するって、悪くないですね。自分でも楽しみです。それじゃみなさんも、おたのしみに〜〜〜〜〜〜!!