勝手に掘り下げワ〜〜〜〜ルド

だせい

変わるの巻

政治・経済


<惰性は、日常。この社会は民主主義と言うより、運命主義で出来ている。個ではなく、大いなる力で動かされるまま生きている感じ>

うちの家系の女どもは、一度座ると尻に根っこがはえたように動かないのだけど、社会も似たようなモノなのかもと思う。社会も、根っこがはえたように変わらない。それはどうしてなのだろうかね。日々・・・・・・・・・・・・・・・

日々の事。それぞれの生活があり、それに手一杯で変わると言うコトはしたくない。変わるというのは、今やっているコトの他に、余計な事をするというコトでもある。余計な事をする時間がないと言うのが、正直な所だろう。・多少問題があっても、そのままなワケだね。考え・・・・・・・・・・・・・・

考えもしない。日々に追われているので、変わるなんてコトを考えもしない。考えたくもない。考えの中から除外してしまう。それで日々は成り立っていく。・遠くで勝手に変わるのは良いけど、自分が変わるのはめんどくさいんだよね。衝撃・・・・・・・・・・・・・・・

衝撃を受ける。社会が何かとてつもない衝撃を受けて、今の日常が続けられないかもしれない。そんな思いになって、初めてワチャワチャ動き出す。パニック状態になって、うろうろしだす。・パニックになるような事でも起こらないと、動かないんだね。惰性・・・・・・・・・・・・・・・・

惰性で動く。結局惰性で動くだけ。昨日の惰性で今日があるし、その惰性で明日がある。それがそれなりの日常。とても良いわけでもないが、悪いワケでもない日常がそこにある。・日常が通用する間は、そのままでってコト。隔たり・・・・・・・・・・・・・・

隔たりがある。みんな日々に不満がないわけではない。というより、凄い不満を持っている。にも関わらず、余程のコトがない限り、変わろうとしない。変わるというのは、自分ではなく誰かがやってくれるのだろうと、思っている。・遠くの方でね、誰かがやってくれないかなと思うワケね。幻想・・・・・・・・・・・・・・

幻想と現実。心では思っていても、自分で関わろうとは思っていない、幻想と現実。社会が今よりも良くなると言うのは、幻想であって現実でないのかもしれない。・リアリティはないし、自分でそれに関わろうなんて、思いもしないしね。無難・・・・・・・・・・・・・

何もしないのが無難。変わる時は、変わらないといけないだろうし、変に自分が関わっても変わる保障もない。であるなら、何もしないのが無難。それで自分では動かない。・確かに、関わっても変わる保障はないね。運命・・・・・・・・・・・・

運命主義。民主主義と言うより、運命主義と言った方が、正確な気がする。どこかの誰かが変えてくれれば嬉しいけど、自分では動かない。自分の力はたかが知れてるし、実際何も変わらないのが目に見えている。運命には従うけど、自分では変えない。惰性のまま行くだけで、自分で動いてもしょうがないという気持ちが、この社会の正体と思う。不満はあっても、それであまり動かない。それが現実なんだろうね。今日はそんなガッカリな結論で、締めましょう

惰性は、日常。この社会は民主主義と言うより、運命主義で出来ている。個ではなく、大いなる力で動かされるまま生きている感じ

そうか、運命主義なのか。アメリカなら、自分たちで一から十まで作ってるから、政府の構造とか法律の構造とか、そこら辺のうさんくささも知っている。だから自分たちで何とかしようって思うんだろうけど、日本は上から来たモノをそのまま受け入れるスタイルだから、運命主義なんだろうね。国のうさんくささとか、気づくヒトも少ないし。運命主義って、結構シックリくるね。なすがまま、されるがままなんだね、日本人て。それって、残念だけどピッタリくるね、現実に。そんなガックリきた現実が見えた所で、明日に繫ぎましょう

明日は『比率』というタイトルで、生き方について考えます。お楽しみに!!

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