勝手に掘り下げワ〜〜〜〜ルド

さくひん

ディジタルの巻

哲学・思想

<作品は、切り取り。パッケージ化して、明確に作品にしなければ、消えていくだけ。CGは、このままではただ消えていく運命>

この映像すげぇ!!って、静止画とか、映像とか見て思うコトよくある。いわゆるコンピューターグラフィックなんだけど。でもすごいわりに、その作者が誰なのか、あまり表に出てこないよね。今日はその事について。価値・・・・・・・・・・・・・

CGの価値。あまりCG価値って高くない気がする。どんなに素晴らしくても、なんとなく安っぽく感じる。それってなぜなんだろう。いくらでも、コピー出来るからだろうか。・凄いんだけど、安っぽいって言うね。消える・・・・・・・・・

切れると消える。CGの場合、電源を切ると消えてしまう。もちろん、電源を入れれば再び映し出されるのだけど。どうもそこら辺に、安っぽさの原因があるような気がする。・留まる事がないから、存在感が薄いのかも。固定・・・・・・・・・・・・・・・

固定する。作品として固定するには、紙などの物質にする必要があるのかもしれない。どんなに素晴らしくても、ディジタルのデータでは、価値が付着しないような気がする。・価値って、物質にしかくっつかないのかな。似ている・・・・・・・・・・・・・

似ているモノ。作品のカタチにならないモノとして、似ているのは工業製品。工業製品も素晴らしくても、作品としては評価されない。作った人の名前も分からない。・個としてじゃなくて、大勢で作るからね。特定・・・・・・・・・・・

特定出来ない。CGも一人で作るモノではなく、大勢で作るモノだから、誰の作品か特定出来ないのかもしれない。工業製品と同じで、特定出来ないので作品とならないのかも。・作品は主体となる誰かに、付くモノなのか。個人・・・・・・・・・・・・・・

個人で作る。静止画や簡単な映像は、1人で作る人も居る。1人ならば特定は出来る。その場合は、作品として認識出来るハズ。・1人で作ったんだったら、疑いなくその人の作品でしょ。いくつか・・・・・・・・・・・・

いくつかある。考えれば、個人が作ったCGはいくつか作品として、存在している。作品と作者が対になって、作品集として売られているモノもあったように思う。・1人で作れば、作品になるんだね。間・・・・・・・・・・・・

間にある。CGは作品でもあり、工業製品にもなり得る。基本的にデータの集合であり、物質を介さないので、個人でも大勢でも作れる。芸術性と、製品との間に存在しているのが、CG。・間にあるから、どっち付かずなんだよね。パッケージ・・・・・・・・・・・・・・・・

パッケージ化。どっちつかずのCGの場合、明確に作品として切り取れば、商品にもなる。逆に言うと、パッケージ化せず、そのままならば作品になる事はない。ただの工業製品として、存在するだけ。素晴らしいと思えるCG映像は沢山ある。とするならば、もっと切り取ってパッケージ化すれば、作品として永遠の命を得る事が出来るのかもしれない。それをしていないので、今はまだどっちつかず。安っぽいイメージも、つきまとってしまうというコトですね。はい!じゃあそれを今日の結論として締めましょう

作品は、切り取り。パッケージ化して、明確に作品にしなければ、消えていくだけ。CGは、このままではただ消えていく運命

そうか、パッケージ化か。売れるかどうかは分からないけど、切り取ってパッケージ化して、残していきたいCGは多いね。見た時の感動とか、あるからね。ああいうのを、ただの製品として、裏方にしてしまうのはなんとなくモッタイナイ。そんな気にさせるのです、CGって。表舞台に出しても、それなりに耐えうるクオリティのモノだから、そうなって欲しいと、勝手に思う次第であります。あくまで個人の感想でありますが・・・・・。はい、それじゃこんな所で明日

明日は『思い出し』と言うコトで、記憶の焼き付けについて考えます。お楽しみに!!

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